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誰も知らない 第10話

長沼はサンタフェの町の目抜き通りをぼんやりと眺めていた。
子供たちが楽しそうにボールを蹴って遊んでいる。
無邪気な子供たちの笑い声が聞こえた。
(この子たちもいずれ、戦争に巻き込まれ、殺し、殺されるのだ)
と思うと、やりきれなかった。
彼らの頭の中は真っ白だ。
染められれば何でもやる。
余計な考えがないから、やるときは残酷で、しかも容赦がない。
恐ろしいことだ、と思う。
これは思想や宗教、民族の対立から生まれるものではないのだ。
金持ちが貧乏人をけしかけ、貧乏人同士が憎み合い、殺し合っている。
金持ちはますます肥え太り、貧乏人はますます痩せて飢えていく。
この社会の仕組みを変えない限り、いつまでも悲劇は繰り返されるだろう。
「ヒロト、何を考えているの?」
オマイラがやってきて長沼にすがりついた。
長沼は一点を凝視したまま、
「オマイラ、この国を変えることはできると思う?」
と訊いた。
オマイラの答えは素っ気なかった。
「できないわ。それはイラソナブレ(無理)よ」
「どうして?」
「どうしてって、あたしに聞かれても分からないわ……。ただ、あたしに言えることは、あたしたちには、どうすることもできないってこと」
「誰がそう決めたんだ?」
「分からない。生まれたときからそうなってるの」
「この国では毎日、数え切れないほど人が殺される。子供たちは人の殺し方を教わり、平気で人を殺すようになる。共産主義がどうとか、政治のことは俺もよく分からない。でも、何故、コロンビアではこうも人の命が軽いんだ?どうして、こんなに殺し合わなければならないんだ?」
「殺したくて殺してるんじゃないわ。みんな、生きるためよ。農民の暮らしがどんなにひどいものか、あなたには分かる?その日の食べるものもなくて、みんな小さな頃から働きに出されるの。それでも、仕事があるならまだマシだわ。兵士になれば、人を殺さなくちゃいけない。でも、兵士になれば、食べ物も着る物も困らないのよ。だから、人殺しの方法を覚えて兵士になろうとするの」
「君もゲリラに売られたんだったな?」
「あたしの家は、貧しい農家だったの。でも、みんなで暮らせた頃は幸せだった。小さな畑を持っていて、キャベツやインゲン豆を育てていたの。毎朝、畑でとれたものをリヤカーに載せて、町の市場に売りに行ったわ。パードレ(父)もマドレ(母)も兄弟も、みんな一緒にね。楽しかった。でも、ある日……」
「ある日?……」
「一番下のエルマノ(弟)が、おしっこをしたいと言って、道路脇の草むらに入ったの。そしたら突然、ミナ(地雷)が爆発して……。エルマノの小さな体が、ちぎれて吹き飛んだの。パードレは泣きながらエルマノを助けようとして、自分もミナを踏んでしまったのよ」
オマイラはすすり泣きながら言った。
「ラ・ポーブレ(かわいそうに)……」
「エルマノは死んで、パードレも体中に大やけどをして、片足を失ってしまったの。それからすべてが狂ってしまった……。パードレが働けなくなって、あたしたちは食べていけなくなったの。あたしは13歳だった。13の女の子が生きていくには、メンディシダッド(物乞い)になるか、ゲリラになるしかないわ」
「それで、ゲリラになったというわけか」
「兵士になりたくてなったんじゃない。人を殺したくて殺してるんじゃない。でも、生きるためにはそうするしかないのよ」
「俺は腹が立って仕方ない。この世にディオス(神)なんているのか?いるとしたら、何故、こんなインフェリーズ(不幸)を見過ごしているんだ?コロンビアには、トラヘディア(悲劇)とエフシオン・デ・サングレ(流血)とルチャ(争い)と……あるのはラ・レアリダッド・デスグラシアダ(悲惨な現実)だけだ。君は自分が不幸だとは思わないのか?」
「あたしは、今はとてもフェリシダ(幸せ)よ。あなたと、こうして出会えた。あなたと生きているだけで幸せなの」
オマイラは屈託のない笑顔で言うのだった。
「この国では毎日、誰かがセクエストロ(誘拐)されたり、殺されたりしている。でも、あたしはあなたと生きている」
「それが幸せなのか?」
「シー(うん)」
なるほど、そう考えれば確かに自分たちは幸せなのかもしれない、と思った。
Hasta Mañana(アスタ・マニャーナ、また明日)のお国柄なのだろうが、厳しい現実を苦にせず、楽天的に生きるラテン系の血がなせる業なのかもしれない。
貧富の格差が激しく、絶望的なまでに治安が悪く、暴力に支配されたこの国で、幸福を感じる国民が世界有数の多さという現実は、平和で豊かな国でありながら毎年多数の自殺者を出す日本と対照的である。

長沼は考えた。
(ここでオマイラと幸せに暮らしていくにはどうすればよいのか?)
彼女を日本に連れて帰ることはまず不可能と言ってよい。
ゲリラに見つかれば殺されるし、他に安住の地があるとも思えない。
長沼が稼いで、オマイラと暮らすのが一番よいのだが、果たして仕事が見つかるかどうか……。
考え抜いた末に長沼が出した結論は、
「シカリオ(殺し屋)になること」
だった。
サンタフェの町は長年、ゲリラの支配下にあったこともあり、必然、住民にはゲリラの協力者が多い。
政府軍やパラミリタールの情報をゲリラに売って生活する者もいる。
こうしたソプロン(密告者)を抹殺することがシカリオの仕事だ。

長沼はロハスのもとへ交渉に赴いた。
「俺をシカリオにさせてください」
ロハスはサンタフェ随一の盛り場である「サイゴン」という酒場でウイスキーを飲んでいた。
「シカリオになりたい、だと?」
「そうです」
「兵士を辞めて、殺し屋になるのか?」
「そういうことです」
「お前の腕なら問題はないだろうが……」
「お願いです。俺にやらせてください」
「殺し屋になれば、お前は町から出られなくなる。それでもいいのか?」
「構いません。その代わり、こっちにも条件があります」
「なんだ?」
「彼女も、オマイラも兵士を辞めて、二人で暮らすことを認めてほしいのです」
「お前が殺し屋で稼ぎ、あの女と所帯を持つ、というのか?」
「その通りです」
「女を守るためか?それとも、農民どもを殺すのが嫌なのか?」
「彼女のためです」
「それだけじゃないだろう。お前は人殺しに嫌気が差している。だから兵士を辞めたい。違うか?」
「…………」
「だが、殺し屋になれば、お前は好むと好まざるとに関わらず、人を殺さねばならん」
「…………」
「いいか、ナガヌマ。ここはカンポ・デ・バターリャ(戦場)だ。やるか、やられるかの世界だ。この世界では、まずウノ・ミスモ(自分)だ。次にオトロス(他人)。自分が生きたいと思えば相手を殺さなければならん。だが、今のお前は女のために生きている。あの女がお前を裏切り、お前をゲリラに売ったとしても、お前は満足なのか?よく考えろ。お前はゲリラに復讐したくて戦っていたんじゃないのか?お前自身の恨みを晴らすために人を殺していたんじゃないのか?いつから女のために戦うようになった?」
「…………」
「人殺しが嫌だと言っても、お前はもうこの世界から逃げ出すことはできん。ゲリラはお前の命を狙う。お前は戦いから抜けることはできんのだ。お前を守れるのはお前しかいない。その覚悟はあるのか?」
「俺は彼女のために戦います。彼女は俺の命を助けてくれたんです。誰のためでもありません。彼女のために戦うんです」
「女に裏切られても、お前は女のために戦えるのか?」
「戦いますよ。それが俺のデスティーノ(運命)なら」
「ふむ……まあ、いいだろう。何があってもラメンタール(後悔)するなよ」
ロハスは髭をしごきながら目を細め、グラスのウイスキーを一息に飲み干した。

その日から長沼は殺し屋として生きていくことになった。
軍服を脱ぎ、兵士から殺し屋に転身したのだ。
オマイラには何も言わず、彼ひとりで決めたことだった。
「あなた、シカリオになるって本当?」
「ああ、本当さ」
「どうしてそんなことを」
「君と幸せに暮らすためさ」
「そのために人を殺すの?」
「兵士でいても殺すんだ。同じことさ」
「何の罪もない人でも殺すの?」
「罪の有無は関係ない。ここは殺すか、殺されるかの世界だ。殺さなければ、こっちが殺されるんだ」
長沼の心にあるのはオマイラとの安住を願う気持ちである。
安住を願う心には卑屈な精神が宿る。
自分の中で良心をねじ伏せ、都合よく解釈するしかない。
「お願いだから、もう人殺しはやめて。あなたにできることじゃないわ。一緒に逃げましょう。どこか遠くへ……」
「君を危険に曝すわけにはいかない。ここにいれば安全だ。俺が守ってみせるさ」
長沼はオマイラを抱き寄せ、そっと耳元で囁いた。
「約束するよ。君を必ず幸せにしてみせる」

長沼はオマイラとともに住むための部屋を借りた。
粗末なベッドがひとつだけの狭い部屋だったが、今の長沼はオマイラと二人きりになれるだけで十分だった。
トイレは共同で、シャワーは屋上のドラム缶に溜めた水を浴びるのである。

長沼の最初の仕事はホアンという男の暗殺だった。
協力者が調べた情報から、ホアンがゲリラのスパイであることが判明した。
こうした場合、ひそかに拉致して殺害することもあるが、多くはセレクティボ・アセシナト(選択的殺人)と言い、暗殺者を雇って殺す。
それは「ゲリラへの協力者はこうなる」という冷酷な見せしめの意味もあった。
交渉の結果、暗殺の報酬は300ドルと決まった。
パラミリタールの兵士の平均月給は400ドル、公務員の平均月収が600ドルのコロンビアでは、まずまずの金額と言うべきだろう。

長沼は38口径のスミス&ウエッソンM19をジーンズの腰にねじ込み、サンタフェの町の通りに出た。
長沼は大型の自動式拳銃より、日本人の手にもなじむ小型のリボルバー(回転式)拳銃の方を好んだ。
リボルバーは装弾数が少ないものの、故障が少なく、引き金を引けばほぼ確実に発射できる信頼性の高さから、自動式が主流の現代でも愛用者は少なくない。
昼下がりの晴れた日だった。
スペイン風のコロニアル・スタイルの家屋が並ぶ通りは人通りも少なく、暗殺には絶好の場所と言えた。
(いた!あいつだ!)
事前に写真で見た顔を脳裏に焼き付けておいた。ホアンは家の外に出てくると、長沼には気付かず、石畳の通りをゆっくりと歩いていく。
昼間から酒を飲んでいるのか、フラフラとした足取りで広場の方へ向かうのを背後から近付きざま、長沼はホアンの後頭部めがけ引き金を引いた。
乾いた銃声が二発、響いた。
ホアンは死の舞踏を踏んで石畳の上に倒れ伏した。

仕事を終えて帰宅すると、
「どうだった?」
「うまくいったよ」
「そう」
オマイラの表情は沈んでいる。
長沼は彼女を元気付けようと意図的に明るく振る舞った。
「ムエルテ・インスタンターネア(即死)だよ。苦しまずに死ねたんだ」
ジーンズのポケットから報酬の300ドルを出して、
「これが今日の稼ぎだ。うまいものでも食おう。君の好きなものを買っていいぞ」
オマイラは紙幣を数えながら、
「これは教会にドナシオン(寄付)しましょう」
と言った。
バグレというナマズのスープを煮る匂いと、チチャロン(豚皮の油揚げ)を揚げる香ばしい匂いがどこからともなく漂い、サルサのリズムが流れてくる。
「何を言ってるんだ?これは俺たちの大切なプロピエダッド(財産)だよ」
「人を殺したお金で幸せにはなれないわ」
「幸せにしてみせるさ」
「あなたは変わってしまった。この国がそうさせてしまったのよ。あなたは日本に帰るべきだわ」
「オマイラ、何を言うんだ?俺との約束を忘れたのか?」
「あなたがあたしのことを思ってくれるのはうれしい。でも、ここはあなたがいるべき場所ではないわ」
「俺はここに残る。ここに残って、君と幸せに暮らしたいんだ」
オマイラが何か言おうとするのを遮るように長沼はオマイラを抱いてベッドに倒れ込んだ。
「ノー・セ・プレオクペ(心配ない)。何も心配はない。俺が絶対に守ってみせる……」
長沼はうわごとのようにつぶやきつつ、オマイラの豊満な乳房に顔を埋めた。

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土屋正裕

Author:土屋正裕
画像は南米コロンビアの首都ボゴタ中心部のボリーバル広場。明星学苑卒。

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