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コロンビア歴史物語 第6話

コロンビア歴史物語 第6話

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パブロ・エスコバル(1976年)


さて、コロンビアと言えば麻薬だ。コロンビアが麻薬と切っても切れない関係になっていくのが1970年代である。

アメリカでは60年代後半から公民権運動で自由化・世俗化が進んだことと、ベトナム戦争の泥沼化と敗北で社会はダメージを受け、世相は享楽的・頽廃的になっていった。

世界の超大国アメリカがベトナムなんてアジアの小国に負けたのである。そのことがどれほどアメリカ人のプライドを傷つけたか想像に余りある。

戦争に負けた後は麻薬が流行りやすい。日本も戦後は覚せい剤が大流行し、ヒロポン中毒者が激増した。アメリカでも70年代後半からコカイン中毒者が急増する。

アメリカの若者はもともとマリファナが大好きだった。マリファナの一大産地はメキシコだった。だが、メキシコでの取り締まりが厳しくなると、その産地はコロンビアのカリブ海沿岸に移った。

カリブ海に突き出たコロンビアのグアヒラ半島では、貧しい農民たちがこぞってマリンベラ(マリファナ)を作った。ジャーナリストの故・竹中労氏はコロンビアを取材した際、グアヒラ半島ではひとつの山全体がマリファナ畑だったと語っている。


マリファナ産地がコロンビアに移ると、たちまち麻薬産業がコロンビアの重要な産業のひとつとなっていった。マフィオーソ(マフィア)が麻薬取引を仕切り、警察は麻薬業者から袖の下をもらって腐敗し機能しなくなった。

コロンビアで麻薬生産が急増した背景には、70年代からアジアやアフリカの新興諸国でコーヒー生産が始まったこともある。

これらの国々でコーヒー生産が手っ取り早い外貨稼ぎの手段としてもてはやされるようになると、当然、コーヒーの国際価格は低下した。それまではコーヒー栽培でもそこそこ食っていけたコロンビアの農家は、もはやコーヒーでは食っていけなくなり、麻薬の生産に手を出すようになったのである。

そこにアメリカの麻薬ブームだ。これで麻薬の生産量が増えないわけがない。悪いことは重なるものである。

1978年に就任した自由党のフリオ・セサル・トゥルバイ・アヤラ大統領は、腐敗した警察に代わって軍隊を投入し、グアヒラ半島でのマリファナ栽培を根絶しようとした。


だがその頃、すでにアメリカではマリファナ・ブームが終わり、コカイン・ブームの時代が到来していた。

アメリカ人はマリファナよりも刺激の強いコカインに乗り換えたのである。マリファナは抑制剤で気分を落ち着かせる効果があるが、コカインは興奮剤であり強烈な幻覚作用がある。

日本では大麻が人気だが、コカインはあまり流行らなかった。これは日本人が抑制剤であるマリファナが好きで、興奮剤のコカインは好きではなかったからだとも言われている。


アメリカで爆発的なコカイン・ブームが始まると、コロンビアのマフィオーソもマリファナからコカインに切り替えた。

コカインは南米アンデス山脈に自生するコカの木から作られる。コカの葉を集めて水と石灰とセメントに浸して樹液を搾り取り、それを乾燥させたのが「コカイン・ベース」と言ってコカインの原料となる。

コロンビア南部の貧しい農村では、農民たちがせっせとコカを育て、コカイン・ベースを作っている。どの農家の軒先でも農民がコカイン・ベースを火に当てて乾かすのに余念がない。乾いていないと質が悪く高く売れないのである。

コカイン業者が農民からコカイン・ベースを買い取りに来る。スプーンですくって火であぶってみてパチパチと爆ぜてしまうのは質が悪い。グツグツと煮えるのが上質である。

乾季は収穫量が少ないので業者の足も遠のく。コカイン・ベースの方が通貨より価値が高いので、住民は皆、コカイン・ベースを通貨の代わりに使う。コカイン・ベース何グラムでコーヒー一杯、という感じである。

これをさらに加工してコカインとなる。上質のコカインは純白の粉末で、これをストローで鼻から吸引して使用する。

コカの葉それ自体に毒性はない。昔からアンデスの高地で暮らすインディオが高山病予防や疲れを癒すために使ってきた。

アンデスへ行くと旅行者はコカ茶を振る舞われる。飲むと高山病に効く。標高の高いアンデスは酸素が薄いので慣れないと頭が重くなり体がだるくなってくるのだ。

コカの葉をそのまま口に入れてガムのように噛むと頭痛や歯痛が治まるという。ボリビアではコカは合法化されていて、町の市場で袋詰めにされて売られている。

要するにコカそのものに麻薬性はない。危険なのはコカインである。


コカインを常用するとどうなるのか。一言で言ってしまうと、この世に自分より強い奴はいない、と思い込むようになってしまう。

もう怖いものなんてないんだ。俺が一番強いんだ。そんな気持ちになってしまう。何日も何も食べずに眠らなくても全然平気だ。

そのうち人を殺したくなってくる。誰でもいいから殺したい。無差別に人を襲って殺してしまう。そんな恐ろしい麻薬なのである。

アメリカでは理由のない無差別殺人事件が多いが、犯人がコカイン中毒者である場合が多い。

ちなみにアメリカのコカ・コーラは昔、コカインを入れていた。だからコーラを飲み過ぎるとコカイン中毒になってしまった。今はコカインの代わりにカフェインを入れている。


記録によると、コロンビアで初めてコカイン生産が始まったのは1969年。だからそんなに昔のことではない。

コロンビアでは先住民パエス族が細々とコカを育てているだけだった。マフィオーソは当初、彼らにコカを作らせていたが、そのうち需要に供給が追い付かなくなった。

そこで彼らはペルーやボリビアで生産されるコカの葉をコロンビアに運び、コロンビアでコカインに精製して、アメリカに密輸するという大規模なコカイン・ルートを築き上げた。

コカは乾燥した地域を好む。湿度の高いコロンビア産のコカインは質が悪い。最高級は乾燥地帯ボリビア産である。

だが安物だけに手に入りやすい。そんなわけでコロンビア産コカインがアメリカで大流行したのである。


この時期にコカイン取引で急速に台頭した男がいる。世界最大の麻薬密売組織「メデジン・カルテル」の最高幹部パブロ・エスコバルである。

1949年12月1日、エスコバルはメデジン南東のリオネグロに生まれた。父親のアベルは畜産業者で12ヘクタールの土地と6頭の牛を所有し、母親のエルミルダは教師であり、エスコバルは7人兄弟の次男だった。

コロンビア西部アンティオキア県の県都・メデジンは標高1500メートルのアブラ盆地に広がる“花の都”であり、17世紀の初め、ユダヤ人により作られた。

少年時代のエスコバルは勉強とサッカーが好きな食いしん坊の肥満児だったという。が、17歳で学校を退学してからはマリンベラに溺れ、自動車泥棒や墓石の転売を繰り返すようになる。

「大物になりたいんだ」

というのが若きエスコバルの口癖だった。

やがてエスコバルは町の悪ガキを集めてギャングを作る。自分に従う者にはとことん尽くすが、いったん敵に回るとどこまでも容赦なく追及し徹底的にぶちのめす主義の男だった。

最初にエスコバルが麻薬で捕まったのは1976年。18キロのコカインを所持していて逮捕された。彼を逮捕した警官は後に暗殺されている。

その頃からエスコバルはメデジン・カルテルを率いてアメリカのコカイン市場に殴り込みをかける。フロリダでは対立するアメリカン・マフィアを滅ぼし、全米のコカイン市場を独占してしまった。

ここからコロンビアが天下に悪名を響かせる時代がやってくる。コロンビア国内の事情に麻薬が絡んでくる。
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