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Author:土屋正裕
画像は南米コロンビアの首都ボゴタ中心部のボリーバル広場。明星学苑卒。



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コロンビア歴史物語 第7話

1970年代後半、アメリカのコカイン・ブームでコロンビアがコカインの一大生産地帯と化していく中、コロンビア政府と対立し内戦を続ける反政府ゲリラにとって絶好のチャンスが訪れた。

コロンビア最大の左翼ゲリラFARCも、1980年代初頭までは勢力1千人ほどで、コロンビア南部のジャングルや山間部で細々とゲリラ活動を続けているに過ぎなかった。とても政権を取れるような勢力ではなかったのである。

そんなへなちょこゲリラにマフィアからうまい話が持ち込まれた。

「なあ、お前たちも俺たちと一緒にビジネスをしねえか?」

麻薬ビジネスに参入しないか、というのである。麻薬を売って稼げば多額の資金が手に入る。武器弾薬を買えるし、兵士たちに十分な給料も払える。だがビジネスに関してはゲリラはド素人だ。下手に手を出せば「武家の商法」に終わる可能性がある。

「なーに、その心配はいらねえ。実際のビジネスは俺たちがやる。お前らは俺たちの仕事を手伝ってくれるだけでいいんだ」

つまり、麻薬マフィアが支配するコカ畑やコカイン精製工場、密輸ルートを警備してくれというのだ。そうすればマフィアがゲリラに「警護料」を支払う、というのである。用心棒になってくれというわけだ。


戦争というのはとにかく金がかかる。それはゲリラも同じだ。国がやる戦争ならば国債を発行するなり増税するなりいくらでも手段はあるが、国ではないゲリラが戦争を続けるとなると自分たちで稼がねばならない。ビンラディンのような大富豪なんてそんなにいるものではない。

そうなると軍資金を確保する手段は限られてくる。金を持っていそうな人間を誘拐してきて身代金をふんだくるか、麻薬を作って売って稼ぐか、である。

誘拐するにしても金を持ってる人間はどこにでも転がっているものではない。危険も付きまとう。人質を確保しておくだけの場所と人員が必要だ。

となれば麻薬しかない。麻薬を作る人間ならいくらでもいるのだ。貧しい農民なら安い賃金でも喜んで働く。しかも海を越えたアメリカにはうなるほど金があって、麻薬を買ってくれる人間が沢山いるのだ。


当初、ゲリラはこの申し出を断った。金は欲しいが、我々は共産主義者である。人民の味方である。尾羽打ち枯らしても性根は腐っておらぬ。麻薬に手を出すなど以ての外だ。早々にお引き取り願いたい、と突っぱねたのである。

この頃はまだ共産国ソ連も健在だったし、共産主義の思想も色あせていなかった。キューバのカストロ師匠も元気一杯だったし、ニカラグアでもサンディニスタの革命政府が出来たばかりだ。ゲリラたちの士気も高く、麻薬に手を出すほど落ちぶれちゃいねえぜ!という感じだったのだろう。


1980年2月27日、ボゴタのドミニカ共和国の大使館ではドミニカ独立記念日の祝賀パーティーが開かれていた。

そこへ武装した15名の男女が突如乱入してきた。銃声が響く。一瞬にしてパーティー会場は凍りついた。

左翼ゲリラM-19のメンバーがドミニカ大使館を占拠したのである。アメリカやエジプトなど各国の大使ら52人が人質に取られた。

M-19は政治犯の釈放を要求した。ペルーの日本大使公邸人質事件と似ている。あの事件を引き起こした「トゥパク・アマル革命運動(MRTA)」はM-19の弟分みたいなゲリラ組織である。かつてはM-19と共同でゲリラ作戦を行ない、勇名を馳せていた。MRTAは兄貴の真似をしたのだ。

実は当初、M-19は日本大使館を狙っていたとされる。テロに弱腰な日本政府なら脅せると考えたのだろう。だが当時の日本大使館はビルの最上階にあり、長期の籠城には不向きと判断したらしい。

トゥルバイ大統領は当初、犯人側の要求を断固拒否した。しかし国際人権団体アムネスティによりコロンビア政府が行なっている人権侵害の数々が暴かれてしまい、刑務所で政治犯がひどい拷問や虐待を受けていることが分かると、政府の立場は苦しくなった。

事件発生から61日後の4月28日、犯人グループは政治犯の釈放と身代金2千万ドルを勝ち取り、人質を連れてキューバへ出国した。ハバナの空港で彼らは英雄として迎えられた。


コロンビア政府は面目丸つぶれである。トゥルバイは戒厳令を布告し反体制活動家を徹底的に弾圧した。多くの活動家が秘密警察により拉致され、そのまま失踪した。

ドミニカ大使館事件で株を下げたトゥルバイは、思い余って奇策に出る。ゲリラに対し投降すれば一切罪を問わないと宣言したのである。

無論、ゲリラが応じるわけがない。のこのこと出ていけば殺されてしまうに決まっている。そのくらいのことはラ・ビオレンシアの頃から平気でやってきた政府だ。


1982年に就任したベリサリオ・ベタンクール大統領は、麻薬マフィアの跳梁に手を焼いた。そこで、トゥルバイ以上の奇策に出た。

なんと、ゲリラに和平交渉を呼び掛けたのである。しかも、

「政府と一緒に麻薬マフィアと戦ってくれないか?」

と言い出したのだ。軍隊や警察は腐敗していて使い物にならないので、反政府ゲリラの力を借りて麻薬マフィアを叩き潰そうとしたのだ。

ところがゲリラは和平に応じたのである。最大のゲリラFARCは84年、政府との停戦に応じ、合法政党である「愛国同盟(UP)」を創設した。そして国会に議員を送り込んだ。コロンビア史上初めて、底辺の人民が国家権力を手にしたのだ。

しかしマフィアの方が一枚も二枚も上手だった。政府の情報はすべてマフィアに筒抜けだった。議員も買収されていたのである。

先回りしたマフィアはゲリラと手を結んだ。FARCはマフィアの資金源を守ることで多額の軍資金を手に入れ、政府軍よりも優れた高性能の武器を買いそろえることが出来た。

こうしてFARCは急速に勢力を拡大させ始めた。いったん和平に参加したのになぜ武装闘争を継続する必要があったのだろうか?


それは結局、政府が約束を破ったからである。FARCの合法政党UPの国会議員は次々と何者かに暗殺されていった。85年からの5年間でなんと3千人も議員や関係者が暗殺されたのだ。しかし暗殺者が逮捕されることは一度もなかった。94年にはUPは党員不足で政党資格を剥奪されてしまう。

思うに政府は和平をチラつかせてゲリラを油断させておき、丸腰で出てきたところを不意討ちにして全滅させる気だったのではないか?


86年ごろにはすでにFARCは武装闘争に復帰した。多額の麻薬マネーで潤った彼らはもう昔の弱いゲリラではなくなっていた。ゲリラもやはり麻薬マネーの魅力には打ち勝てなかったと見える。背に腹は替えられぬ、ということか。

この頃になると、アメリカ政府も自国の麻薬汚染に悲鳴を上げるようになっていた。いくら国内で取り締まりを強化しても、コロンビアからどんどんコカインが流れ込んでくるのではたまったものではない。

最盛期のエスコバルはコカイン取引で年間250億ドルも稼ぎ、世界で7番目の金持ちとしてフォーブス誌にも取り上げられたことがある。

エスコバルは「プラタ・オ・プロモ(賄賂か暗殺か)」を合言葉に国会議員や政治家を徹底的に買収し、応じない者は容赦なく暗殺した。政府も警察もみんなエスコバルに買収されていた。もう誰も彼に逆らえなかった。


1980年代前半、中南米諸国を金融危機が襲った。外資導入で経済成長を図ってきたこれらの国々は、70年代の二度にわたる石油ショックで景気が停滞すると、たちまち先進国から借りた金を返せなくなり、次々と国家財政が破綻してしまったのである。


コロンビアも例外ではなかった。エスコバルは政府に対し、

「俺が自分の金で国家財政を建て替えてやるから、麻薬取引に目をつぶれ」

と持ち掛けた。政府は慎重な協議の末、この申し出を断った。日本でも兵庫県は税収の半分以上を山口組に頼っている。国家とヤクザは協力関係にあるのだ。だからヤクザはいなくならないのである。

アメリカ政府はコロンビア政府と「二国間犯罪人引き渡し協定」を結び、麻薬の元締エスコバルを逮捕しアメリカに身柄を引き渡すよう求めた。

だが、この情報も筒抜けだった。先手を打ったエスコバルは、とんでもない事件を起こすのである。

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