土屋正裕のブログ
プロフィール

土屋正裕

Author:土屋正裕
画像は南米コロンビアの首都ボゴタ中心部のボリーバル広場。明星学苑卒。



最新記事



月別アーカイブ



検索フォーム



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

コロンビア歴史物語 第9話

さて、二大麻薬カルテルの消滅後、アメリカに流れ込むコカインの量は減ったのだろうか?否、全然減っていないのである。なんで?


90年代半ばまでに麻薬カルテルが事実上壊滅すると、今度はその穴埋めをするかのように反政府ゲリラが麻薬ビジネスに直接手を出すようになったからである。

特にFARCは麻薬ビジネスに力を注いだ。95年当時、6千人ほどだった兵力は、わずか10年足らずの間に3倍の1万8千人に膨れ上がった。

潤沢な麻薬マネーで兵力を増強したFARCは支配地を広げ、90年代後半には日本の3倍強の面積を持つコロンビアの3分の1(日本と同じ)を支配下に置くようになった。

冷戦終結とソ連崩壊で、中南米の左翼ゲリラは求心力を失い自然消滅の道をたどった。エルサルバドルのように政府と和平に合意し合法化されるか、ぺルーのように武力で鎮圧されるかのどちらかだった。しかしコロンビアは違った。麻薬のおかげで、むしろ冷戦期より強くなってしまったのである。

もう革命より麻薬ビジネスが本業のようになってしまったようだ。彼らはもともとビジネスの才能があったのかもしれない。共産主義より資本主義の方が似合うのでは?と思ってしまう。

一方、第2の左翼ゲリラ勢力である民族解放軍(ELN)は断固として麻薬ビジネスへの参入を拒否し、ジリ貧に陥って兵士に食べさせるものもなくなり、栄養失調で兵士はろくに銃も持てないという有様になった。

「我々は麻薬を人類の災いの元とみる。こんなものに手を出すくらいなら貧乏でいた方がマシだ」

とELN最高幹部ガビーノ司令官は語っている。殊勝な心がけだが、理想と現実は別だ。理想だけでは飯を食っていけないのである。ELNはやはり世間知らずの学生集団なのだ。

そこでELNは身代金誘拐に力を入れるようになる。麻薬がダメで誘拐はOKという神経が理解できない。まあ、レーニンも「それが人民の幸福のためなら何をしても許される。たとえ殺人や強盗でも」と自己正当化しているので、ELNもそれに従っただけなのだろう。だから筆者(土屋)は共産主義が嫌いなのである。

麻薬カルテルの壊滅後もコロンビアのコカイン生産量が減少することはなく、カルテルの穴埋めとして左翼ゲリラが急速に勢力を拡大し始める。

コカイン取引は莫大な富をゲリラにもたらした。ゲリラ兵士は1人で3丁の銃を持っても余るほどになった。6連装のグレネード・ランチャーを装備したゲリラ兵は、旧式の装備しか持たない政府軍兵士を圧倒するようになった。

支配地域を広げたコロンビア革命軍(FARC)は、麻薬と並ぶもう一つのビジネスに精を出すようになる。セクエストロ(誘拐)である。


記録によればコロンビアで初めて誘拐事件が発生したのは1933年。この時は被害者の家族が5万ペソの身代金を払い人質は無事解放された。しかし被害者は30年後に再び誘拐されそうになり、その時犯人に殺されてしまった。

コロンビアで目立って誘拐が増え始めるのは60年代後半からである。裕福な資産家がゲリラのターゲットとなった。ゲリラに狙われる地主や富裕層は自衛のための私兵集団を組織した。これが後のパラミリタリー(準軍事組織)の発端となる。

コロンビアは日本の3倍もの面積を持つ広大な国である。しかも国土の大半は険しいアンデス山脈と奥深い密林で占められている。軍隊や警察の力の及ぶ範囲は限られている。ゲリラや無法者にとってはまたとない活躍の場が提供されているわけだ。

人質を誘拐しても被害者を長期間監禁し身代金交渉を有利に進めるには、それだけの場所と人員を確保しなければならない。コロンビアにはアンデスとジャングルという天然の要塞と、貧しさからゲリラに走る無数の若者や農民という好条件があまりにも整いすぎていた。

ゲリラは誘拐対象者を慎重に選んだ。銀行の個人情報をスパイや電子機器を使い盗み出し、個人の資産や富裕度を調べ対象者リストを作る。対象者を尾行し帰宅時間や帰宅ルートを綿密に調べ上げ犯行に及ぶ。

最も価値の高い資産家や大企業の重役は喉から手が出るほど欲しい人材だが、そうザラに転がっているものではない。そこでゲリラは手っ取り早く一度に無差別に大量に誘拐し、その中から金を取れそうな者を選び抜くという戦術に切り替える。

誘拐の方法は大胆だ。地方の幹線道路を封鎖し、通り掛かる車や通行人を検問し拉致する。軍や警察の検問を装うこともある。バスや飛行機を乗っ取り、乗客ごと連れ去るという手口もある。

だが何と言っても一番価値の高いのは外国人だ。人質の家族だけでなく、相手国の政府を脅して金を巻き上げることも出来る。また政府に対する圧力にもなる。ゲリラたちは外国人旅行者を狙った「ミラクル・フィッシング」という誘拐を繰り返すようになった。

コロンビアほど多くの外国人が誘拐され殺された国もないだろう。コロンビア政府の発表によれば、コロンビアでは1996年から2004年までの8年間だけで324人の外国人が誘拐されている。


ゲリラに誘拐されると、たいてい人里離れた山の中のアジトへ連れて行かれる。そこで身元調査が行なわれ、人質の背後に金の匂いがある場合はそのまま監禁。ない場合は解放するか口封じのため処分となる。

誘拐された被害者はアンデスやジャングルのゲリラのキャンプを転々と移動しながら、長期に及ぶ監禁生活に耐えなければならない。数ヵ月で解放されるのはまだ運のいい方で、解放までに数年を要する場合も珍しくない。

人質にとって敵はゲリラだけではない。劣悪な環境で病気にかかり命を落とす人質も少なくない。ジャングルにはマラリアなどの病原菌がウヨウヨし、毒蛇や毒虫、猛獣もいる。たとえ逃げ出したところで道に迷い獣の餌食になるか餓死するのがオチだ。ゲリラ兵は政府軍が人質救出作戦を始めたら即座に人質を射殺するよう上官から命じられている。政府軍もまた人質にとっては敵なのである。


それでも命が助かるならまだマシだ。何年も自由を奪われた挙げ句、殺されてしまう人質もいる。2002年4月に誘拐されたバジェ・デル・カウカ州の州議会議員12人のうち11人は、5年後の2007年6月に殺害されている。

とは言えゲリラにとって人質は大事な「商品」である。殺すことは滅多にない。コロンビアの非政府組織(NGO)「自由国家財団」によると、人質が殺される確率は全体の1%だという。


政府は多発する誘拐に対処すべく「誘拐対策法」を制定した。被害者に身代金の支払いを禁ずる法律である。だが、政府にそれだけの解決能力がなかったことから有名無実化した。

ゲリラが麻薬と誘拐で勢い付く中、政府も麻薬との腐れ縁を断ち切れずにいた。1994年に就任した自由党のエルネスト・サンペール大統領はカリ・カルテルから選挙資金として600万ドルを受け取っていたことが発覚し大問題に発展した。

アメリカ政府は激怒し、サンペール大統領へのビザ発給を停止した。コロンビア議会はサンペール弾劾の構えを見せた。平和的な政権交替を繰り返してきたコロンビアで大統領が任期途中に退任に追い込まれることなどかつてないことである。

だが結局、この問題はうやむやにされてしまった。議会の懲罰委員会はサンペールに対して簡単な聴取を行なった後、証拠不十分で不問としたのである。


1996年3月、アメリカ政府は「麻薬取り締まりに非協力的な国」にコロンビアを挙げた。これはサンペールに対する事実上の退任勧告だった。

しかしサンペールは辞めなかった。結局、彼は何食わぬ顔で居座り、4年の任期を全うすることになる。

麻薬疑惑で人気のないサンペールは奇策に出た。1997年6月、サンペールは軍に命じて南部カケタ県から軍部隊を撤退させる。FARCに囚われている捕虜の解放を実現するためだ。

FARCは57名の捕虜の釈放と引き替えに軍の撤退と解放の模様をテレビ中継することを要求した。実はこの時、捕虜解放と同時に軍が捕虜を殺害し、すべての責任をゲリラになすりつける計画があったという。

「ゲリラは人質を解放するという約束を破って人質を殺した。なんてひどい連中なんだ!」

ということを世間に対してアピールし、ゲリラの評判を貶める狙いがあったのだろう。

このもくろみを阻止するため、FARCはテレビ中継を要求したのだ。まさか生中継のカメラの前で人質を殺すことは出来ない。

結局、人質は無事解放されたが、この時、最後までゲリラへの譲歩を拒否した軍部と政府の間に亀裂が生じる。

スポンサーサイト


コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
トラックバック URL
http://tsuchiyamasahiro.blog.fc2.com/tb.php/413-8c7d3b65
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。