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コロンビア歴史物語 第12話

2002年5月の大統領選。自由党右派で対テロ強硬派のアルバロ・ウリベ候補が同じく自由党の穏健派オラシオ・セルパ候補を破って当選した。

ウリベはアンティオキアの大地主の出身。ハーバード大学を無試験で卒業したほどの秀才である。彼の父親アルベルト・ウリベは1983年にFARCによって殺害されている。

ゲリラに父を殺された男が大統領になったのだ。ウリベはパストラーナの対話路線を批判し「力による内戦終結」を掲げて多くの国民から支持された。


無論、FARCが黙っているわけがない。2002年8月7日の大統領就任式。就任宣誓の最中、ボゴタの大統領官邸に向けてロケット弾が撃ち込まれた。FARCが仕掛けたロケット砲によるテロ攻撃だった。ウリベは無傷だったが、一部の弾は近くのスラム街に落下し、また関係のない市民が命を奪われた。


FARCによる先制攻撃に対しウリベはすぐさま宣戦布告で応じた。ウリベ政権は「戦争税」を導入し、対ゲリラ戦争に必要な戦費を確保。「テロとの戦い」でアメリカと協同歩調を取ることでアメリカ政府から多額の軍資金を手に入れた。

これを元手に軍の近代化を進めたウリベは「プラン・パトリオタ(愛国計画)」と呼ばれるゲリラ殲滅作戦を実行に移す。軍備を3倍に増強し、FARCの本拠地であるコロンビア南部で大規模な掃討作戦を始めたのである。

やがてウリベ政権の成果は目に見える形で表れ始めた。2000年に3700件あまりも発生していた誘拐事件が5年後の05年には約800件にまで激減。就任時に3万5千件も発生していた殺人事件は3年後に約1万5千件に減少したのである。

ウリベ大統領の支持率も凄い。世論調査では常に支持率は70%を超えている。町から強盗や誘拐犯が消え、安心して外を歩けるようになったのだから、国民が支持しないわけがない。それでもこの数字の高さは異常とも思えるくらいだ。南米の指導者でこれほど国民から支持された人物はいないのではないか。

ウリベの登場でコロンビアは劇的に変化していくことになる。


2002年のウリベ大統領の誕生によってコロンビアは大きく変わった。治安は改善され、かつて世界で最も危険な国と呼ばれたコロンビアは見事に汚名を返上した。

ほんの数年前までは飛ぶ鳥を落とす勢いで、このまま行けばキューバやニカラグアのように武力で政権を奪取するのではないかという話も現実味を帯びたほどの反政府武装勢力コロンビア革命軍(FARC)は大きく勢力を減退させた。

ウリベ政権の徹底的なゲリラ掃討作戦の結果、国土の3分の1を実効支配していたFARCは至る所で包囲され撃滅粉砕された。都市の周辺からゲリラは姿を消し、ベネズエラ国境地帯や南部のジャングル地帯などの辺境の地に追いやられた。


2004年1月12日、エクアドル国境近くでFARCナンバー2の幹部シモン・トリニダ(本名リカルド・パルメラ)が逮捕された。

トリニダは武闘派の幹部だったが、前立腺ガンの治療のため訪れたエクアドルの病院で待ち伏せしていた治安当局によって身柄拘束され、即日コロンビアに引き渡された。

この逮捕作戦「オリオン作戦」はアメリカCIAが協力していた。トリニダの逮捕は政府が捕らえたFARC幹部としては40年来最大の大物だった。

トリニダはアメリカにコカインを密輸した容疑で米捜査当局から逮捕状が出されていた。コロンビア政府はトリニダの身柄をアメリカへ引き渡し、トリニダはワシントンの裁判所で禁固60年を宣告された。

トリニダ逮捕劇はFARC弱体化の序曲であった。以後、FARC幹部は次々に捕らえられていく。

04年2月、FARCの女ゲリラ幹部ソニア(本名オマイラ・カブレラ・ロハス)が政府軍によって逮捕された。ソニアは600トンにも上るコカインをアメリカに密輸した罪に問われている。

同年12月、ベネズエラの首都カラカスでFARC国際部代表のロドリゴ・グランダが拘束された。当初、コロンビア政府はベネズエラ国境近くの町ククタで逮捕したと発表していたが、後にコロンビア秘密警察がベネズエラ軍人に賄賂を払い、カラカスで拉致、コロンビアへ連行したことが発覚した。


この「ロドリゴ・グランダ事件」はコロンビアとベネズエラの外交問題にまで発展する大事件となった。

コロンビアと隣り合うベネズエラは強硬な反米左派ウーゴ・チャベス大統領の国だ。99年に就任したチャベスは社会主義路線を掲げ、キューバのカストロ政権に接近するなど反米傾向を鮮明にしている。

世界5位の産油国であるベネズエラは国民の半数が貧困層とされ、チャベスはこれまで外国資本と国内の富裕層に独占されてきた石油の富を国民に還元することで絶大な支持を誇った。

チャベス政権は国中に低所得者向けの無料の食糧配給所や市価よりも安いスーパーマーケット「人民の家」を設置し、公教育を充実させ文盲を撲滅するなどの成果を上げた。

また外国資本を接収し、ベネズエラ国営石油公社(PDVSA)の人事に露骨に介入、石油価格の底上げを図って減産措置に踏み切り、反対派が多数を占める国会を強制的に解散させ憲法を改正するなど独裁を強めていった。

こうしたチャベスの姿勢はアメリカの反発を招き、CIAはベネズエラの反チャベス派を支援して政権打倒を図った。


2002年4月12日、反チャベス派の軍人・富裕層によるクーデターが発生。チャベスは解任され、ベネズエラの経団連にあたる「フェデカマラス」の会長ペドロ・カルモナが新大統領に就任した。

しかし民主的に選ばれた政権を力ずくで倒したこのクーデターは周辺国の承認を得られず、また国内でもチャベス支持者による大規模なデモが発生。結局、クーデターは三日天下に終わり、チャベスが復職した。

以降、チャベスは反米独裁の傾向をエスカレートさせ、アメリカ外交官を国外追放するなどアメリカとの対立も激化していった。

こうした中で、親米右派のウリベ政権は反米ベネズエラを抑えるためにもアメリカにとって欠かせない存在となっていった。

ウリベは「テロとの戦い」のためなら、隣国の国家主権を侵害してでもテロリストを捕らえることを証明した。これにベネズエラが激しく反発したのである。

ウリベも一歩も引かなかった。ベネズエラ政府は国境を越えて活動する左翼ゲリラを取り締まっていない。テロリストに「聖域」を与えていると反論した。

ベネズエラのホセ・チャコン内務大臣は「FARCが国内に入れば神が命ずるままに捕らえる」と表明した。両国の外交危機は両首脳の8時間にわたる会談によって回避された。


しかし、この事件は大きな「しこり」を残した。チャベスはアメリカがコロンビア政府を動かして自分を倒そうとしているのではないかと疑った。

事実、コロンビアの右派民兵組織はベネズエラに侵入し、反チャベス派と組んでチャベス政権打倒のための策謀を重ねていた。

ベネズエラ国内にコロンビアの民兵が多数潜入し、武器弾薬を集め武装蜂起を計画しているとの噂も流れた。実際にベネズエラ警察はチャベスの暗殺を謀ったとして多くのコロンビア人を逮捕している。


この背後でCIAが動いているのは確かだ。2005年暮れにはベネズエラの反体制派が国内の石油パイプラインを同時に爆破し1万5千人を殺害、これを機に米軍が介入しチャベス政権を倒すという途方もないテロ計画を立てていたことが発覚。関係者が逮捕された。

ベネズエラはイランやキューバ、北朝鮮、ロシアに接近し、自国の石油を安く売ることで世界的な反米包囲網を形成しようとした。また、エクアドルやボリビアなどで相次いで反米政権が生まれたことも、この地域の不安定化を促進した。

チャベスはこれらの南米反米諸国に石油を供給することで親密な関係を築き、南米全体を反米勢力の拠点にすることを計画した。国内で反米ゲリラの掃討を進めるコロンビアにとっては何ともやりにくい状況が出来たわけだ。


アメリカのブッシュ政権は強力にウリベ政権に肩入れした。アメリカ議会はコロンビアに駐留する米海兵隊の上限を400人から800人まで引き上げる法案を可決した。

これらの海兵隊は表向きコロンビア軍をトレーニングするのが目的としている。しかし単なる訓練で800人も兵隊を送る必要はない。実際はコロンビア軍と共同で軍事作戦を行なっている。

隣国コロンビアにこれほど大量のアメリカ軍兵士が駐留し続けていることは、チャベス政権にとって不安以外の何物でもない。いつ国境を越えてベネズエラに侵攻してくるか分からないからだ。


こうしてコロンビアとベネズエラ、さらに南米諸国の関係が微妙で複雑なものになっていく中、ウリベはアメリカの援助で強硬にゲリラ対策を推し進めた。

ウリベは圧倒的な支持を背景に憲法を改正し、それまで大統領は1期4年限りとしていたものを改め、再選を可能とした。

2006年5月の大統領選でウリベは圧勝した。次点の左派候補を40ポイントも引き離すほどの地滑り的大勝だった。

二期目に入ったウリベ政権はゲリラに和平を呼び掛けた。徹底的に叩いて弱体化させ、穏健派のみ残しておいて対話のテーブルに引きずり出し、武装解除させてしまおうという狙いがあったのだろう。

これに応じてELNは40年来初めて停戦に合意した。ウリベは獄中にいたELN最高幹部アントニオ・ガランを釈放し、彼を和平交渉の仲介役に任命した。ELNはウリベ政権下の徹底弾圧でメンバーを減らし、武装闘争の継続が困難な状況に追い込まれていたのだ。


一方、FARCは頑なに和平を拒んだ。二度の和平交渉が失敗し、もはや政府をまったく信用していない彼らは、コロンビアのジャングルに引きこもってコカインを作るしか生き残る道はなくなっていたのである。

そこでウリベは和平交渉の仲介役にチャベスを指名したのである。思想的にゲリラに近いチャベスなら、ゲリラも信頼し打ち解けるだろうと考えたのか。チャベスはウリベの要請を快諾した。

2007年8月からチャベスを仲介して交渉が始まった。この交渉はこれまでの中で最も進展を見せた。チャベスはFARCの老ボス・マルランダに対し、

「お前の身の安全は俺が保障してやるから、いっぺん、こっちに来て話をしようよ」

と呼び掛けた。ベネズエラに来て直接交渉しようというのだ。ところが、これにウリベが水を差す。

「マルランダがベネズエラに行くのは勝手だが、奴を見つけたらただじゃおかない。すぐに殺すか、捕まえて牢屋にぶち込んでやる」

というのだ。ウリベは父を殺したゲリラへの恨みを忘れてはいなかった。常に暗殺を恐れるマルランダは結局、交渉の場に姿を見せることはなかった。


07年11月、決定的な事態が起こる。ウリベが突然、交渉の仲介役からチャベスを外すと言明したのである。チャベスが自分の許可を得ず、勝手にコロンビア軍幹部と話をしたから、というのがその理由だった。

これにはチャベスも激怒した。

「ふざけるな!テメーで勝手に呼んでおいて、ろくに話もさせず、俺をクビにするとは一体どういうことなんでえ?!」

チャベスが怒るのも無理はない。交渉開始からたった3ヵ月で一方的に打ち切ってしまったのである。腹の虫が収まらないチャベスはコロンビアとの外交関係を凍結した。

「コロンビア政府の人間はみんな嘘つきだ!もう、こんな奴らは信用できない!俺はコロンビアとの関係を冷凍庫に放り込む!」

和平交渉をブチ壊したウリベには冷徹な計算があった。つまり、最初から彼はゲリラと交渉する気なんかなかったのである。

ウリベがチャベスを交渉の仲介役から外した理由は、

「自分を通さずにコロンビア軍の幹部と話をしたから」

というものだ。チャベスがコロンビアの軍部と内通し、自分をクーデターで追い出そうと謀っている、というのが表向きの理由だった。

だが、独立以来、一貫して民主主義統治の原則を貫き、軍事クーデターや独裁の経験をほとんど持たないコロンビアでクーデターが起こるなどとは到底思えない。そんなことはウリベだって信じちゃいないだろう。この時点でこの話はウリベの作り話だということが看破できる。

では何故、ウリベはチャベスを交渉の席から外す必要があったのか。そもそも最初からチャベスに仲介を頼む必要などなかったのではないか。


要するにウリベは交渉の成功を望んでいないのである。チャベスの仲介でFARCがジャングルの奥深くに捕らえてある750人の人質(この中には政治家や軍人、警官、アメリカ等の外国人も含まれる)の解放を巡る交渉が進展を見せたとき、ウリベは難癖をつけて、一方的に交渉を潰してしまった。

FARCが人質を解放すれば、それは交渉を仲介したチャベスの得点になってしまう。わざわざ敵国ベネズエラの指導者に得点稼ぎをさせてやる必要はない。

自国で誘拐された人質を隣国の政治家に頼まなければ取り返せないのでは、コロンビア政府の面目は丸つぶれである。チャベスを仲介役に指名したのは、長期の監禁で弱っている人質たちの家族がうるさいからだ。ウリベは渋々、交渉をしているように見せかけたに過ぎないのである。

だから最初からチャベスに用なんてなかった。人質解放交渉がうまくいってほしくないから、ウリベは交渉を踏み潰すチャンスを狙っていたのだ。チャベスはまんまと利用されたわけである。

だが、このまま引き下がるチャベスではない。チャベスはその後も粘り強くFARCとコンタクトを取り、2007年暮れから2008年初めにかけて6人の重要な人質を解放させることに成功した。

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土屋正裕

Author:土屋正裕
画像は南米コロンビアの首都ボゴタ中心部のボリーバル広場。明星学苑卒。

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