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Author:土屋正裕
画像は南米コロンビアの首都ボゴタ中心部のボリーバル広場。明星学苑卒。



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コロンビア歴史物語 第14話

政権発足以来最大の危機を乗り切ったウリベは、以後もゲリラ弾圧の手を緩めず、落ち目のFARCを徹底的に追い詰めていく。

ナンバー2のラウル・レイエスの死の痛手はFARCにとってあまりにも大きすぎた。最高幹部マルランダの後継者と目されていただけに、レイエスを失ったことでFARCはもはや窮地へと追い込まれていくのである。


3月7日、今度はイバン・リオスが殺害された。リオスはFARC最高幹部7人のうちの1人である。リオスを殺したのは彼の部下。しかも身辺警護に当たる護衛だった。彼はリオスを殺した後、リオスの右手首を切断して政府軍に投降した。手を切り落としたのはリオスを殺したという確かな証拠を持っていくためである。リオスの首には賞金が掛けられていた。

リオスを殺した兵士の証言によれば、レイエスの死後、FARC内部に動揺が走り、組織は混乱しているという。殺害の動機はリオスが部下に調理のため火を使うことを禁じたことだった。政府軍に追われる彼らは掃討作戦の強化で食糧の調達も困難になり、昼夜を問わず空腹を抱えながら山の中を逃げ回っているという。


政府の発表によれば、FARCから脱落する者は毎日20人。1年で3千人もの兵士がFARCから抜け出て政府軍に投降した。一時は2万人近い兵力を抱え、日本と同じ面積を支配下に置いていたFARCの面影はもはや影も形もない。ウリベ政権下の6年で組織は確実に弱体化し、ガタガタになっていた。


3月26日、FARCにとって40年来最大の不幸が訪れた。40年以上にわたりFARCを率いて政府と戦い続けてきた最高指導者マヌエル・マルランダが死んだのである。戦死ではなく、突然の心臓発作による病死と発表された。享年77歳。その歳でゲリラはきつかったろう。

側近によれば、マルランダはゲリラを辞めたいとひそかに漏らしていたという。でもこれまで一緒に戦い苦楽を共にしてきた仲間たちの前ではさすがに引退を口にすることは出来なかったのだろう。古来、政治家や指導者というものは孤独だが、組織のトップに立たされてしまうともうまったく自分の自由なんて言ってられないのだ。


FARCの新しい指導者にはアルフォンソ・カノが選ばれた。カノはFARCの思想的指導者である。この人事を巡ってはFARC内部の対立も浮き彫りにされた。マルランダの盟友であるFARC軍事指導者ヘルマンとホルヘのブリセーニョ兄弟がカノと反目し、権力闘争の様相を呈したという。


ホルヘ・ブリセーニョ(通称モノ・ホホイ)はFARCの有能な軍師であり、彼がいなかったらFARCはここまでもたなかっただろうと言われている。モノ・ホホイは欠席裁判で懲役40年を宣告されている。多くの誘拐や暗殺、テロに関わった男だ(彼は2010年9月23日、軍事作戦で殺害される)。


2008年7月2日、コロンビア軍はFARCに誘拐・監禁されていたフランス国籍の女性政治家イングリッド・ベタンクールら人質15人を救出したと発表した。


ベタンクールはフランス人の夫を持つ。フランスとコロンビアでは異色の存在として名の知れた人物で、コロンビア政界の腐敗を厳しく追及し続け、何度となく脅迫や暗殺未遂の憂き目に遭った。

そんなベタンクールが大統領選に出馬したのは2002年。選挙戦の最中の2月23日、無謀にもFARC支配地に足を運び、そのまま誘拐されてしまった。それから6年あまりの歳月が流れていた。


ベタンクールの誘拐はフランスでも大問題だった。彼女はフランス流民主主義にかぶれたエリート政治家なので、コロンビアよりむしろヨーロッパで世間の関心と同情を集め、国際的な救出運動が巻き起こっていた。

2003年7月にはフランス政府が救出作戦を展開。ドビルパン首相(当時)がブラジルに特殊部隊を派遣し、重病のFARC幹部をフランスで治療するのと引き替えにベタンクールの身柄を受け取ろうとしたが、この作戦は失敗する。コロンビア政府は自国の主権を侵害されたと抗議し、当時内相だったニコラ・サルコジ大統領が謝罪するという事態に発展した。

その後は度々、生存情報が伝えられるも事件に進展はなく、すでに死んだとか、ジャングルで病気になり重体とか、いろんな憶測が乱れ飛んだ。パリにいるベタンクールの息子と娘が涙ながらに「母を解放して」とFARCに呼び掛け、フランス政府もベタンクールを解放するならFARCメンバーの亡命を受け入れるとまで約束した。

だが、FARCは頑なに解放を拒んでいた。FARCにとってベタンクールは最大の人質だ。利用価値が高すぎる。FARCは彼女を盾に国際世論を動かし、コロンビア政府を揺さぶり、コロンビアの獄中に囚われている仲間たちを何としても釈放させたかった。

2007年11月に公開されたFARCのビデオでベタンクールのやつれ果てた姿が世界中に衝撃を与え、彼女は肝炎を患い、余命数週間との情報も流れた。

そのベタンクールが6年ぶりに救出されたのである。救出作戦の詳細は次の通り。

コロンビア軍はFARC内部に多数のスパイを潜入させていた。彼らの口を通じてFARC幹部に「偽の人質移送計画」を信じ込ませた。

人質を別の場所に移送する。だが地上を行くのは危険だ。ヘリコプターをチャーターするから、それに乗せて運ぼう、というのだ。

これはFARC最高幹部からの命令としてメールで伝えられた。ベタンクールらを拘束していたFARC幹部はこのメールを信用してしまった。


2日朝、コロンビア南部グアビアレ州のジャングルに1機の大型ヘリが着陸した。何も知らないゲリラがベタンクールらを連れて乗り込んだ。離陸直後、異変が起こった。ゲリラに変装した特殊部隊がゲリラの司令官らを拘束し、15人の人質を救出したのだ。

1発の銃弾も使わず、1人の犠牲者も出さず、人質奪還に成功したのだ。

ベタンクールは意外と元気だった。6年間、毎日米と豆だけの食事。毎年300キロも歩かされていたという。

救出された人質には2003年から拘束されていたアメリカ人3人も含まれていた。彼らは民間軍事会社の傭兵で、コロンビアでのコカ撲滅作戦に参加中、乗っていた飛行機を撃墜されFARCの捕虜になっていたのだ。

FARCは重要な人質をまんまと奪還された上、幹部も捕まってしまった。救出作戦の成功でウリベ政権の支持率はついに90%を超えた。

チャベスを仲介に立てた交渉が始まったときからウリベの計画は始まっていたのだとも思える。チャベスの交渉でゲリラを油断させておき幹部を叩く。そして人質を取り戻すという寸法だ。


5月には「女ランボー」の異名を持つ幹部・通称カリーナも政府に投降した。カリーナは戦闘で右目を失明していた。投降したカリーナはジャングルで抵抗を続ける同志に「武装闘争の時代は終わった。武器を捨てて新しい国造りに参加せよ」と呼び掛けた。

もうFARCの時代は終わった。中南米ではどの国も民主化され、もはや民意は武力に訴えずとも政治に反映される時代になった。ベネズエラもボリビアもエクアドルも民意で選ばれた指導者が国民のために改革を行なっている。ゲリラなんてとっくの昔に時代遅れになっていたのである。

FARCの終焉を見たチャベスも演説で武装闘争の放棄を呼び掛けた。

「ゲリラを辞めて合法闘争の道に戻れ!お前たちのせいでアメリカ帝国主義者に介入の口実を与えてしまうじゃないか!早く武器を捨てろ!」

このチャベスの手の平を返したような発言にFARCは衝撃を受けた。だがFARCも追い詰められれば追い詰められるほど意固地になってしまった。

「答えはノーだ!何度でも言う!千回でも言う!ノーだ!誰がマルランダの剣を捨てるものか!」

と新指導者カノは叫び、これからも社会主義コロンビアの建設に向けてゲリラ戦を続けると明言した。

そのカノも2011年11月4日、南部カウカ県の山岳地帯で10時間にわたる戦闘の末に殺害された。後任にはロドリゴ・ロンドーニョ・エチェベリ(通称:ティモチェンコ司令官)が就任した。

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