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Author:土屋正裕
画像は南米コロンビアの首都ボゴタ中心部のボリーバル広場。明星学苑卒。



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コロンビアにおけるラ・ビオレンシアについての考察

ここで、コロンビアにおける政治的な特徴についてまとめてみよう。


・独立以来、基本的に議会制民主主義による政権交代が行なわれてきた
・他のラテンアメリカ諸国のような武力革命は起きていない
・歴史上、武力による政権打倒は3回だけである
・独裁的な政治指導者は少なく、現われても短命政権で終わっている
・一方で内戦が繰り返され、国情が不安定で治安が悪い


コロンビアでは1819年の独立以来、基本的には議会制民主主義と選挙による政権交代が行なわれてきた。

これは初代大統領フランシスコ・デ・パウラ・サンタンデールが独裁的な政治を嫌い、法治主義による民主的な政治体制を目指したためであり、サンタンデール最大の功績にしてコロンビアの美徳とされている。

政治的には自由・保守両党による二大政党制が19世紀半ばより150年以上も続き、クーデターや独裁が当たり前のように繰り返されてきた他のラテンアメリカ諸国とは大きく異なるのがコロンビアの特徴である。


たとえば、ラテンアメリカ最古の民主主義国とされるチリにおいても、1973年から1990年までの17年間はアウグスト・ピノチェトの軍事独裁政権下にあった。

同じく、1910年のメキシコ革命でポルフィリオ・ディアスの独裁政権を倒し、民主化に成功したメキシコにおいても、2001年まで同国は制度的革命党(PRI)による一党独裁が71年間も続いた。


コロンビアにおいては、1890年代のラファエル・ヌニェス政権、1900年代のホセ・マヌエル・マロキン政権およびラファエル・レイエス政権、そして内戦の真っ只中にあった1950年代のローレアノ・ゴメス政権およびロハス軍事政権などの独裁的な政権は存在したが、いずれも長期に及んだ政権は存在しない。

たとえば、ヌニェスは7年、マロキンは4年、レイエスは5年、ゴメスは3年、ロハスは4年であり、いずれも10年を超える政権は存在しないのである。

例外的に憲法改正で大統領の再選を可能としたアルバロ・ウリベ政権が2期8年であり、彼以前の大統領で8年を超える政権を維持した者は1人も存在しない。

こうした歴史的事実を踏まえたうえで、筆者はコロンビアにおけるラ・ビオレンシア(政治社会的暴力)問題を考察してみたいと思う。


まず第一に、コロンビアでは民主主義の歴史が南米では最長であるにも関わらず、内戦が繰り返され、政情不安と治安の悪化を招いてしまったのであろうか?

コロンビアにおいては過去に3回大規模な内戦が発生し、千日戦争(1899年~1902年)では推定10万人、「暴力の時代」と呼ばれた内戦(1946年~1958年)では推定10万~20万人、そして1960年代前半から現在まで続く内戦では推定22万人の犠牲者を出した。

これらの内戦の特徴は、まず千日戦争および「暴力の時代」の内戦は自由党と保守党の政治的対立を土壌としたものであり、今日の内戦とは性質がまったく異なるということである。


コロンビアにおいては伝統的に国民は自由党か保守党のいずれかの政党に属することが求められ、「コロンビアでは生まれたときにへその緒に政党の名前が書いてある」という冗談もあるほど、二大政党制による支配は根強く続いてきた。

こうした政治的背景には、コロンビアが広大な国土(日本の3倍強)を持ち、険しいアンデス山脈によって国土が分断され、中央政府による統治が地方にまで及びにくかったという地理的要因がある。

これを補うべく、自由党と保守党の政党による支配が地方の隅々にまで及び、国民は属した政党によりその運命までもが決められてしまうという政治的宿命を背負った。

政権交代が行なわれるたびに、中央から地方に至るすべてのポストが入れ替わる。与党は排他的に利益を独占し、野党は既得権益を失って与党および党員に対する敵意・憎悪を募らせる。

選挙による平和的な政権交代が実施されても、中央はいざ知らず、地方では両党間の対立と衝突が発生し、それがビオレンシア(暴力)の土壌を育んできたのである。

この二大政党制の弊害とも言うべき暴力が、コロンビアにおける民主主義の伝統と相反するような暴力の歴史という矛盾した構造を生み出したというべきであろう。


二大政党の対立による暴力は、1950年代後半の「国民戦線協定」により、両党がポストを平等に分担するという合意で解消され、以後、コロンビアでは二大政党制を原因とする暴力は事実上消滅した。

国民戦線体制は1974年に終了したが、その後も2002年まで自由党と保守党による政権交代が続き、コロンビアにおいて複数政党制が機能するようになったのは最近のことである。

このこともコロンビアにおける暴力の発生のひとつの要因である。すなわち、二大政党以外の政党による政治参加が制限されたため、広く国民の政治的ニーズを政治に反映させることが出来ず、反政府ゲリラによるテロが横行する原因となった。

1960年代後半から現在まで続く内戦は、1959年のキューバ革命を契機として、コロンビアにおいても大土地所有制に反対する農民運動や労働争議が活発化したこと、米ソ対立の冷戦下で共産主義の影響を受けた左翼知識人が伝統的なコロンビアの政治体制を批判し、やがて政府に対する武装闘争を開始したことによるものであり、二大政党制を直接の原因とするものではない。

また、1970年代後半から始まったアメリカにおける麻薬ブームと、コロンビアにおける麻薬カルテルの台頭と成長、政治・司法制度の腐敗、社会の混乱による治安の悪化が、コロンビアにおける暴力を激化させた要因である。


以上の点を踏まえ、まとめてみよう。


・コロンビアにおいて二大政党制は必要なものだった
・しかし、二大政党制による弊害が暴力を発生させた
・政党対立後も暴力は解決しなかったが、それは別の要因によるものである
・暴力の蔓延、政治・司法の腐敗が治安を悪化させた


以上のことから、コロンビアは他のラテンアメリカ諸国と比較しても、特に暴力的な国家だったわけではなく、近年の治安悪化の原因は麻薬問題など外的要因が大きい、ということである。

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