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誰も知らない 第12話

コロンビア中部・アンデスの山岳地帯にて――
ゲリラのキャンプでは、二人の男が小屋の中で話し込んでいた。
「ナガヌマが生きているというのは確かなのか?」
「ああ、間違いない。奴は生きている」
「奴は女と一緒にいるそうだな?」
「カルロスを殺した女だ。奴の逃亡を手助けした」
「奴らは今、サンタフェにいるのか?」
「ああ、これがそのエビデンシア(証拠)だ」
若い男が数枚の写真を机の上に並べた。
写真を受け取ったゲリラの司令官はキューバ産の葉巻をくわえながら、
「ふむ……こいつに間違いない」
うなずいて言った。
この男――キューバ革命の英雄エルネスト・チェ・ゲバラを真似したような髭面はガルシアという。
長沼の親友・山田を射殺した男だ。
あの後、長沼がオマイラとともに脱走したことも知っている。
長沼が日本に帰った様子はない。しかも、
「サンタフェに日本人らしい男がいる」
という噂を耳にしていた。
(奴は俺の命を狙っている……)
あれから血眼になって長沼たちの行方を追っていたのである。
そして、ついに長沼の居場所を突き止めた。
サンタフェに潜入させたスパイからの情報だった。
「しかし、驚いたな。奴がシカリオになっていたとは」
「奴はプロだ。射撃の腕は最高だ」
とスパイの男が説明する。
「日本人がコロンビア解放軍(Ejército Liberación de Colombia,ELC)にデクラシオン・デ・グエラ(宣戦布告)か」
ガルシアは愉快そうに笑って言った。
「俺を殺すために腕を磨いたってわけか」
「心配ないさ。奴は町から出られない」
「俺がアミーゴの敵であることも知らないわけか」
「ああ」
「だが、俺が敵だと知れば、必ず復讐に来るだろうな」
「ハハハ……考えすぎだ。奴一人じゃ無理さ」
男は笑った。
ガルシアはニコリともせず、
「今のうちに手を打っておいた方がいい」
「刺客を送り込んで、奴を消すか?」
「いや……」
ガルシアは葉巻の煙をゆっくりと吐き出しながら、
「奴は殺さない。生かしたまま、ここに連れてくるんだ」
「奴をまた拉致するのか?」
「そうだ。再び人質にして、身代金をふんだくる」
「奴の女はどうする?」
「女も一緒に連れてこい」
「女も?」
「あの女は裏切り者だ。許せない。エヘクシオン(処刑)してやる」
「難しいな」
「金ならいくらでも出してやる。絶対に奴らを生かしたまま捕まえてこい!」
ガルシアは語気を強めて言った。
(待ってろよ、ナガヌマ。また会えるのを楽しみにしているぞ)

それから数日後。
サンタフェの町はにぎわっていた。
毎年恒例のアスンシオン・デ・ラ・バージン(聖母の被昇天の日)である。
娯楽の少ない農民たちは毎年この日が来るのを楽しみにしていた。
長沼とオマイラも見に行った。
これはキリスト教カトリックの重要な祝祭で、
「聖母マリアがその人生の終わりに肉体と霊魂を伴って天国にあげられたという信仰、あるいはその出来事を記念する祝い日のこと」
とされ、毎年8月15日に行なわれる。
町の目抜き通りは黒山の人だかりだった。
白装束をまとった人々がマリア像を載せた神輿を担いで行列を作る。
「オマイラ、はぐれるなよ」
長沼はオマイラの手を引いた。
(この混雑では、誰に撃たれても分からないな……)
と思った。
長沼は、
(ゲリラは俺たちを生かしておくはずがない)
と思っていた。
もちろん、警戒は怠らなかった。
自ら暗殺者の道を選んだのも、
「ゲリラの魔の手から身を守るため」
でもある。
だが、こうしてオマイラと暮らしていると、
(もしかしたら、ゲリラは俺たちのことを忘れているのではないか?)
と思うこともあった。
(俺もオマイラも死んだと思っているかもしれない……)
という甘い期待もあった。
(このまま、オマイラと暮らせたらいいな……)
オマイラとの安住を願えば願うほど、
「生への執着」
も強くなってくる。
そんな甘えを吹き飛ばすように祭りの見物人たちの甲高い歓声が響いた。
(いかん!油断は出来ないぞ!)
と自分に言い聞かせる長沼。
(今も誰かに狙われているかもしれない……)
そう思うと、お祭り騒ぎに浮かれている場合ではないと思った。
「オマイラ、もう帰ろう」
「え?」
「危ないんだ」
「ポルケ?(なぜ?)」
「いいから帰ろう」
長沼はオマイラの手を引っ張った。
人混みを抜け、裏通りに入った。
(ここまで来れば安心だ……)
と思った。
その瞬間、後頭部に焼け付くような衝撃を覚えた。
(あっ……)
頭を殴りつけられたのだ。
体を動かそうとしても力が入らない。
目の前が真っ白になった。
長沼は意識を失った。
地面に倒れたところを抱えられた。
オマイラも殴られ、5人の男たちに抱きかかえられた。
男たちは手際よく、ふたりを人目につかない場所に運び込んだ。
そこで、ふたりとも大きな麻袋に詰め込まれた。
男たちはふたつの袋を抱え、川べりに停めてあるボートに積み込んだ。

長沼はモーターボートの爆音で目が覚めた。
(ここは?……)
頭が響くように痛む。
袋に入れられていることに気付くまで少し時間がかかった。
(俺は拉致されたのか……)
起き上がろうとしたが、近くに人の気配がするのでやめた。
男たちが何かをしゃべっている。
爆音にかき消されてよく聞こえない。
これからどこかへ向かおうとしていることが分かった。
(俺たちを殺すつもりか?……)
オマイラはどうしたのだろう。
何とかして、ここから逃げなければならないと思った。
だが、うかつなことはできない。
ここはしばらく、様子をうかがうことにした。

どのくらい経っただろうか。
ボートが川べりの船着場に停まった。
男たちが袋を開けた。
「おい、起きろ!そこから出ろ!」
長沼はのそのそと這い出した。
オマイラも袋から引きずり出された。
長沼はオマイラの無事を知って少しホッとした。
「歩け!もたもたするな!」
男に背中を押された。
長沼は川岸に上がった。
岸には軍服姿の武装したゲリラが何人もいた。
(やはり、ゲリラか……)
長沼は来るべきものが来たと思った。
(俺たちを殺さず、わざわざ拉致してきて、どうするつもりだ?……)
どこかへ連れて行って殺すのだろうか。
「こっちだ!こっちへ来い!」
ゲリラにカラシニコフ銃を向けられ、長沼は歩き出した。
オマイラも後からついてきた。

長沼たちは歩き続けた。
急斜面を登り、緑に囲まれた山の奥へ向かっていることが分かった。
長沼は逃げるチャンスをうかがっていたが、
(奴ら、なかなかスキを見せない……)
のである。
山田とともに拉致されたときのことを思い出した。
あれからすでに4年の歳月が流れている。
あの時は泣き言ばかり言っていた。
不安にさいなまれ、うろたえるばかりだった。
今の自分は冷静に状況を分析しようと努めている。
(俺もさすがに成長したな……)
と思った。
続いて、無残な死を遂げた山田の面影が浮かんだ。
(ヤマさん、本当にごめんよ。ヤマさんと一緒に生きて帰りたかったよ……)
山田のことを思うと、胸が張り裂けそうになる。
(ヤマさん、俺もこれからそっちへ行くよ。ただ……)
長沼は心の中で念じた。
(ただ、オマイラだけは助けてやってくれ。お願いだ。彼女に罪はない。親に捨てられたかわいそうな娘なんだ。彼女だけは見逃してやってくれ……)
自分は殺されても文句は言えない。だが、オマイラだけは助かってほしいと思っていた。
(ヤマさん、恨むなら俺を恨んでくれ。オマイラは関係ないんだ……)
あの世にいるであろう山田は何と思っているのだろうか。
(俺はどうなってもいい。だが、これだけは聞いてくれ。オマイラは助けてほしい。彼女は俺の命の恩人なんだ。俺からの一生のお願いだよ。頼む!……)
長沼はそれだけを伝えておきたかった。
果たして、あの世の山田はどう受け取ったのであろうか。

何時間歩かされただろうか。
長沼とオマイラは、ようやくゲリラのキャンプにたどり着いた。
ふたりを待っていたのはガルシアだった。
長沼はガルシアの顔を見て、
(こいつ、どこかで会ったような……)
と思った。
すると、ガルシアが言った。
「ムーチョ・ティエンポ(久しぶりだな)、ナガヌマ」
「あっ、お前は!……」
「覚えていたか?」
ガルシアはニヤリと笑った。
髭を落として人相を変えていたが、
(忘れもしない、ヤマさんを殺した奴……)
長沼はようやく思い出した。
自分と山田に死を迫り、山田を殺したゲリラの司令官である。
「この野郎!殺してやる!」
長沼は復讐心に燃えた。
飛びかかろうとすると、
「うっ!……」
ゲリラに銃床で腹を殴られた。
「ヒロト!」
オマイラが叫ぶ。
倒れたところを引きずり起こされた。
「この野郎!なぜアミーゴを殺した!なぜだ!貴様も死ね!殺してやる!」
飛びかかっていこうとするが、ゲリラに押さえつけられ、身動きできない。
ガルシアが葉巻にマッチで火をつけた。
ゆうゆうと煙を吐いてから、
「お前は何も分かっちゃいない」
と言った。
「この世はレイ・デ・ラ・セルバ(弱肉強食)だ。喰うか喰われるかの世界だ。富めるものはますます富み、飢えるものはますます飢える。富めるものは貧しいものから富を奪う。だから、貧しいものは富めるものから富を奪う。当然のデレッチョ(権利)だ。我々は当然のことをやったまでだ」
「当然?何の罪もない人間を殺すことが当然だと?」
「お前たちの国は身代金を出し渋った。そればかりか、アメリカに協力し、コロンビアの貧しい農民をますます飢えさせている。殺されたのは当然の報いだ」
「ふざけるな!俺のアミーゴが何をしたって言うんだ!お前たちはテロリストだ!下劣な犯罪者だ!」
「テロリスト?犯罪者?我々をそこまで追い込んだのは一体どこの誰だ?お前たちではないか!」
激しい感情の応酬が続いた。
「どのような理由であれ、テロリストはテロリストだ!死んで当然の連中だ!」
「お前はどうだ?パラミリタールと組んで罪のない人間を殺した!死ぬべき悪人だ!」
「先に手を出したのはお前たちだ!アミーゴは何の罪もない人間だった!それを殺した!」
「ほう、正義のための復讐ってわけか?」
「何とでもほざけ!俺は絶対に貴様を許さない!」
長沼は燃えるような目でガルシアをにらみつけた。
怒りと憎しみの炎が我が身を焼き滅ぼしてしまいそうだった。
ガルシアが自動式拳銃を抜いた。長沼は言った。
「俺を殺すのか?殺すがいい!俺はあの世から貴様をボイ・ア・マタール・ア・ラ・マルディシオン!(呪い殺してやる!)」

ガルシアはM1911の銃口を向けていた。
長沼は目を閉じた。
死を覚悟した。
「俺は死んでいい。だが、オマイラは見逃してやれ」
と言った。
「ヒロト!ダメよ!死んじゃダメ!あたしを殺して!」
「オマイラ、君は生きろ!」
「あなたには家族がいる!あなたの死を悲しむ家族がいるのよ!」
その言葉が長沼の胸を貫いた。
「オマイラ!君が死んで、俺が悲しまないとでも思うのか?」
涙があふれた。
「彼を殺すなら、あたしを殺して!」
オマイラが言い張る。
「彼を解放すると約束して!その代わり、あたしが死ぬから!」
ガルシアが拳銃を下げた。
「こいつは殺さない。大事な人質だ。日本から身代金を取れる」
「彼は解放して」
「お前、そんなにこの男が好きなのか?」
「好きよ」
「この男のカベサ・デ・トゥルコ(身代わり)に死ねるのか?」
「死ぬわ」
「なぜだ?」
「彼はあたしを殺す代わりに殺されようとした。だから、今度はあたしの番」
オマイラは毅然と言い放った。
ガルシアはしばらくオマイラを見つめていたが、
「エル・アモール・エス・マス・フエルテ(愛は強しか)……」
とつぶやいた。
「よかろう。お前たちにチャンスを与えてやる」
そう言って、長沼を捕らえている部下に命じた。
「おい、そいつを放してやれ」
長沼はオマイラと抱き合った。
「オマイラ!愛してるよ!」
「あたしもよ、ヒロト!あなたは生きて!」
「君を残して俺だけ日本に帰れるものか!死ぬときは一緒だ!」
長沼はとっさに決意を固めた。
自分はオマイラとともにここで死ぬ。
そして、あの世から憎いガルシアを呪い殺してやるのだ。
抱き合って泣いていると、
「よし、そこまでだ!」
とガルシアが怒鳴った。
「そいつらを引き離せ!」
「何をするんだ!」
ゲリラたちは長沼とオマイラを強引に引き離した。
ガルシアが言った。
「それだけ愛を確かめれば十分だろう」
「俺たちを殺すのか?」
「いや、お前は殺さない」
「俺を殺せ!」
「死よりも辛い現実を味わわせてやる」
「なんだと?」
「女を連れ出せ!処刑の準備だ!」
「やめろ!オマイラに何をするんだ!」
長沼はもがいたが、多勢に無勢、どうすることもできない。
オマイラは広場に連れ出されていった。

処刑の準備が始まった。
広場の中央には木の杭が打ち立てられていた。
オマイラは杭に縄で厳重に縛り付けられた。
これからフシラミエント(銃殺刑)が執行されるのだ。
「やめろ!オマイラを殺すなら俺を殺せ!このベスティア(獣)がっ!」
長沼は声を振り絞って叫んだ。
ガルシアが冷淡に言った。
「よく見ておけ。愛する女の最期を」
「やめろっ!お前ら、それでも人間かっ!」
オマイラに白い布で目隠しがされた。
6人の兵士が進み出る。
「ポストゥーラ!(構え!)」
ガルシアの号令で6つのカラシニコフ銃の銃口が向けられた。
「アプンタール・アル・オブヘティボ!(標的を狙え!)」
「やめろおっ!」
「ディスパラール!(撃て!)」
一斉に銃声が響いた。
「オマイラっ!!」
縛り付けられたオマイラの体がビクンと大きく跳ねた。
「撃てっ!」
再び銃口が火を噴く。
オマイラを縛っている縄が解けた。
上体が前のめりに傾いた。
「撃てっ!」
とどめの銃弾が浴びせられた。
オマイラの小さな体から血煙が噴き上がった。
処刑は終わった。
「ああっ……オマイラ……そ、そんな……し、死んだ……あっ、ああっ、あああっ……」
長沼は泣き崩れた。
オマイラの死体は杭に縛り付けられたままだ。
まるでボロキレのように捨て置かれている。
あまりにも無残な最期であった。
親に捨てられ、天涯孤独の薄幸な少女だった。
長沼を逃がしたばかりに、ゲリラに捕まり、処刑されてしまったのだ。
「チクショウ、チクショウ……こんなことがあってもいいのかよお……」
人間の死には不感症になっていた長沼も、この時ばかりは号泣した。
ガルシアが勝ち誇ったように言った。
「みんなもよく見ておけ!トライドール(裏切り者)の末路はあれだ!」
そして、長沼に歩み寄った。
「どうだ?愛する者を失った気持ちは?」
「あっ……ああっ、あっ……あっあっああ……」
「お前はインフィエルノ(地獄)を味わうことになるだろう。お前にふさわしい生き方だ」
長沼は両手で土をつかみしめ、満面を涙に濡らしながら涎を垂らし、痴呆のように口を開け放ったまま嗚咽した。
ガルシアは満足したように言った。
「こいつを小屋に放り込んでおけ!」
その時……。
突然、どこからともなくヘリコプターの爆音が聞こえてきた。
ガルシアが見上げると、草色の塗装を施した攻撃ヘリが飛んでくるのが見えた。
「政府軍だ!」
UH-1イロコイ・ヘリのM134ミニガン(口径7.62ミリのガトリング砲)が火を噴いた。
これは毎分2000~4000発を発射し、最大で1秒間に100発もの銃弾を発射できる。
生身の人間が被弾すれば痛みを感じる前に即死すると言われ、別名「無痛ガン」とも呼ばれる。
土煙が上がり、ゲリラたちが次々に血煙を上げて撃ち倒されていく。
「エス・ウン・アタケ・エネミーゴ!(敵襲だぞ!)ブランコ・ルチャール!(応戦しろ!)」
ガルシアが叫びつつ、ヘリめがけてコルト拳銃を連射した。
ヘリのスタブウイング下に搭載されたFFAR7発ランチャーから続けざまにMK4ロケット弾が発射された。
白い尾を引いてロケット弾が飛んでいく。
キャンプのあちこちで爆発が起こった。
次々に家屋が吹き飛ばされ、火花と破片が飛び散った。
凄まじい爆裂音が響き渡る。
キャンプは猛火に包まれ始めた。
真っ黒な煙が空を覆い始める。
長沼は辺りを見回した。
ゲリラたちが何事かを叫びながら走っていく。
ヘリは上空を旋回しながら攻撃してくる。
ヘリの爆音と銃声が耳をつんざく。
その音で長沼は現実に戻った。
ガルシアの姿を探す。
ガルシアは逃げようとしていた。
(あの野郎!……)
長沼の復讐心が再び燃え上がった。

立ち上がって武器を探すと、死んだゲリラの胸にナイフがくくりつけてあった。
それを引き抜く。
長沼は走り出した。
上空のヘリが追ってくる。
長沼はヘリに向かって叫んだ。
「待て!こいつは俺が殺す!」
長沼はガルシアめがけナイフを投げ付けた。
ナイフはガルシアの左肩に突き刺さった。
「うっ……」
ガルシアが転倒した。
「この野郎!殺してやるっ!」
長沼が飛びかかろうとした。
とっさにガルシアが拳銃を向けた。
長沼は右足の太腿を撃たれた。
「うあっ!……」
焼けるような激痛にたまりかね、長沼も倒れた。
ガルシアが肩に刺さったナイフを引き抜いた。
そのナイフを握って長沼に襲いかかる。
「死ねっ!」
かろうじてナイフをかわす。
ガルシアは執拗に攻撃してくる。
長沼はガルシアのナイフを握った右腕をつかんだ。
ものすごい腕力だ。
刃先が長沼の喉に迫る。
長沼はガルシアの顔に片手を伸ばした。
その指でガルシアの耳朶をつかむ。
渾身の力を振り絞って耳を引っ張った。
ガルシアの悲鳴が上がった。
長沼は耳を引き裂かんばかりに引っ張る。
ガルシアはたまらず長沼から離れた。
すかさず長沼がガルシアに飛びかかる。
「この野郎!この野郎!」
拳でガルシアの顔面を何度も殴りつけた。
ガルシアも殴り返す。
長沼を蹴飛ばしておいて逃げにかかった。
「この野郎っ!」
ひるまず長沼が背中に飛びつく。
ふたりとも死に物狂いの肉弾戦だ。
長沼はガルシアの背後に回り、首に右腕を巻きつけた。
首を締め上げた。
ガルシアが徐々に弱ってきた。
そこで腕を離した。
仰向けに倒れたガルシアに馬乗りになった。
右手には先ほどのナイフが握られている。
「ヤマさんとオマイラの仇だ!死ねっ!……」
長沼はナイフを振り上げた。
その時、ふと、こんな思いが脳裏をかすめた。
(罪のない人間を殺した俺が復讐なんて許されるのか?)
長沼はためらった。
復讐のまたとないチャンスである。
だが、どうしてもナイフを振り下ろせない。
(何をビビってるんだ?こいつは敵だぞ!殺せ!早く殺せっ!!)
と自分に言い聞かせたが、
(人殺しの俺に復讐の権利などない!)
という良心の叫びが混じってくる。
どうすればよいのか?!
決心がつかないでいると、腕を銃弾がかすった。
「うわっ!……」
ガルシアの部下にカラシニコフで撃たれたのだ。
長沼は激痛に転げまわった。
「早く逃げろ!」
ガルシアは部下とともに逃げていく。
長沼は顔を上げた。
復讐のチャンスは失われた。
と思った瞬間、ヘリから機銃掃射が浴びせられた。
「うおっ!……」
逃げるガルシアと部下が蜂の巣になった。
血煙を上げて回転しながら地面に突っ伏す。
(死んだか……)
長沼は全身の力が抜けるのを感じた。

戦闘は終わった。
長沼は血と泥にまみれてよろよろと歩いていた。
キャンプには硝煙が立ちこめ、ゲリラの死体が散らばっている。
ヘリが爆音とともに土ぼこりを舞い上げて着陸した。
軍人が2人降りてきた。1人は米軍の将校らしい。
「ナガヌマ、よくやった。作戦は成功だ」
「あんたは……」
目の前にいるのはロハスである。
「どうしてここに?……」
「説明すれば長くなるが、我々は米軍と共同でゲリラ狩りをやっている。お前のことはみんなが知っている。みんながお前に期待していたのだ」
「どういうことだ?」
「我々は長年ガルシアを追ってきた。こいつはゲリラの最高幹部の1人で、こいつを殺せばゲリラの弱体化は必至だ。だが、なかなか居所を突き止められない。そこで、お前をオトリにして、奴をおびき寄せる作戦だったのだ」
「俺をオトリに?」
「奴はお前を狙っていた。お前と女を捜していた。お前と女の居所が分かれば、奴も動き出す。そこで奴の居場所を突き止め、急襲することに成功したのだ」
「つまり、こいつを殺すために、俺とオマイラを利用していたってことか?」
「お前だって、こいつを殺したかったはずだ」
とロハスが言った。
長沼は悔しかった。悲しかったし、切なかった。
自分が殺人の道具として利用されていたのだと思うと、
(オマイラまで巻き込み、死なせてしまった……)
という自責の念がふつふつと湧きあがってきた。
サングラスをかけた米軍の将校が早口の英語で言った。
「君の役目は終わった。君は人質だ。ゲリラから我々が救出した。日本は我が国の同盟国だ。君はもう日本に帰りたまえ。後は我々が片付ける」
ロハスは満足そうに笑っている。
「ふざけんなよ……」
長沼は込み上げてくる怒りを抑え切れなかった。
負傷した腕は使えないので、ロハスの顔面に思い切り頭突きを喰らわせてやった。
「うおっ!……」
ロハスは鼻柱を折られて後ろにのけぞった。
「な、なにをするんだ!くそっ……」
顔中を血に染めながら、
「貴様、狂ったか!は、早くこいつを連れて行け!」
と怒鳴った。
長沼は兵士たちに連れられていった。

その後。
長沼は首都ボゴタの病院に運ばれた。
そこで、日本大使館の職員から事情聴取を受けた。
長沼はすべてを打ち明けた。
すると、大使館員から厳しく口止めされた。
「いいですか、ここで起こったことは、帰っても絶対に公言しないでください。分かりますよね、長沼さん……」
いかにも冷たそうなメガネの大使館員は脅すように言った。
「すべてはあなたのためです。なかったことにしてください。それがあなたの身のためですよ。いいですね?」
くどいほど念を押され、長沼はアメリカ行きの飛行機に乗せられた。
機内の窓から遠ざかっていくコロンビアの大地を眺めながら、
(さようなら、オマイラ。さようなら、ヤマさん。さようなら、コロンビア)
と心の中でつぶやいた。

長沼は4年ぶりに祖国・日本の土を踏んだ。
すでに家族は長沼が死んだものと思い、葬式も済ませていた。
長沼が拉致されたことも、山田が殺されたことも、日本ではほとんど話題にならず、みんなに忘れられてしまっていた。
日本から遠く離れた地球の裏側での出来事など、平和ボケの国民は何の興味もないようであった。

それから2年後。
長沼は初夏の新宿の街中を歩いていた。
東京は梅雨入りし、毎日、雨が降り続いている。
夜になって雨は止んだが、じっとりと汗ばむような陽気だ。
(あれからもう2年か……早いものだな……)
長沼はジーンズのポケットに手を突っ込んで歩きながら、ぼんやりと考えていた。
帰国後、長沼はフリーターになった。
彼女もできた。
日本での平穏な暮らしに戻ると、
(俺だけ生きて帰ってきて、本当にいいのだろうか?)
と思う。
非業の死を遂げた山田とオマイラの面影が頭から離れない。
日本は平和だ。豊かだし、自由もある。
だが、この恵まれた生活に自分が甘んじていてもいいのか、という疑問が常に付きまとうのだ。

長沼は思い切って彼女に打ち明けようとしたこともある。
「なあ、じつは俺……」
「なに?」
「いや、なんでもない」
「なによ?」
「兵士だったんだ」
「え?」
「拉致されて、友達を殺されて、逃げて、兵士になって、恋人も殺されて、復讐しようとして……」
「なに言ってんのよお?」
彼女は冗談だと思ってケラケラ笑っている。
「なんていう映画?」
「映画じゃねーよ」
「夢でも見たの?」
「夢でもねーよ」
「じゃあ何よ?」
「これでも信じねえのかよ?」
長沼は腕の傷跡を見せたが、彼女は笑って言った。
「あんた、これ、昔バイクで事故ったときの傷だって、言ってたじゃん……」
(やっぱり、言うのはよそう……)
と思った。
言ったところで信用されるわけもないし、山田やオマイラが生き返るわけでもないのだ。

雑踏の中を歩いていると、
「もしもし……」
急に背後から呼び止められた。
「あの、もしかして、長沼さんですか?」
振り向くと、目の前にいたのはどこかのおばさんである。
「ええ、そうですが……」
長沼は相手を思い出せなかった。
「お久しぶりです。山田陽介の母です」
「ああ、ヤマさんのお母さん……」
「お元気ですか?」
「よく分かりましたね……」
もう何年も会っていないのだ。
見違えるようになった長沼と、ほとんど変わっていない山田の母親が対面した。

ふたりは近くの居酒屋に入った。
ビールを飲みつつ自然と昔話になった。
長沼はこれまでの出来事を話した。
山田の母親は興味深そうに聞いていた。
話が山田の死に至ると、
「政府から知らされたんですよ。うちの子が殺されたって……ビデオで確認しましてね……」
母親は涙を流し、ハンカチで目を押さえた。
「そうでしたか……」
長沼も複雑な気持ちである。
自分だけが生きて帰ってきたということへの負い目を感じずにはいられない。
「ヤマさんを死なせたのは、この僕です。僕が殺したようなものです。本当に申し訳ありません……」
長沼は深々と頭を下げた。
モツの煮込みが運ばれてきて話は中断した。
長沼はビールをひとくち飲んで言った。
「僕はヤマさんやみんなから命をもらったと思うんです。ヤマさんは僕の身代わりになったんだなと……」
山田やオマイラ、その他多くの犠牲があって、自分は生きているのだと思う。
「僕ひとりで生きてるんじゃないんだな、と。みんなからもらった命なんだな、と思いましてね……」
そのことを知って、今はみんなに感謝しながら生きているのだ、と言った。

ふたりは店を出た。
表に出てから、
「じゃあ、お母さん。いつまでもお達者で……」
と言って別れようとすると、
「長沼さん、じつは……」
山田の母親が言った。
「じつは私、あなたを憎んでいました。うちのヨースケちゃんを殺した憎い奴だと思ってました。もしもどこかで出会ったら、その時はこの手で殺してやろうと思っていたんです……」
「え?」
「だからこうして、ほら、いつもこんなものを持ち歩いていて……」
母親は鰐皮のハンドバッグから果物ナイフを取り出した。
「今日、たまたまあなたを見つけて、私、殺してやろうと思ったんです。でも……」
「?……」
「でも、あなたと会って、気が変わりました。うちのヨースケちゃんはあなたの中で生きてるんです」
長沼は息をのんだ。
「ヨースケちゃんは、あなたの身代わりになった。だから、あなたは生きて帰ってこられた……」
母親はナイフをバッグにしまい、
「あなたを殺せば、私はこの手でヨースケちゃんを殺したことになってしまう。だから、殺すのはやめにしたんです」
「…………」
「あなたは生きてください。私も生きてほしいと思ってます。ヨースケちゃんの分まで生きてやってください。お願いします……」
一礼して、母親は夜の人混みの中に消えていった。
「…………」
長沼はしばらくたたずんでいた。
(今日も命拾いしたな……)
長沼は歩き出した。
(俺はあと何年、生きられるんだろうか……)

終わり

※この物語はフィクションです。実在の人物・地名・団体等とは一切関係ありません。

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プロフィール

土屋正裕

Author:土屋正裕
画像は南米コロンビアの首都ボゴタ中心部のボリーバル広場。明星学苑卒。

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