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解放者~El Libertador~ 第5話

ボリーバルの軍勢は多大な犠牲を払いながらもアンデス越えに成功し、1819年7月6日、コロンビア中部の町ソーチャに到着した。

解放軍は来るべきスペイン帝国軍との決戦に備え、この町で軍装を解き、ボリーバルは兵士たちに酒食を振る舞った。

独立派の農民たちが嬉々として豚を屠り、赤々と熾した炭火で肉が焙られ、兵士たちの杯にはなみなみと葡萄酒が注がれた。

人間の生活の基本は食欲、性欲、睡眠欲である。これらの欲望が満たされていれば、大方の人間は人生に不満を覚えぬものだ。つまるところ、それだけの欲が満たされれば、人は幸福を感じる生き物なのだ。

言わば、当たり前の欲求だ。その欲求が満たされぬとき、人は敢然と権力に抗う。有史以来、人類の歴史はその繰り返しである。

ボリーバルはサンタンデールに言った。

「我々はモーセの十戒のように、杖で紅海を割って、ヘブライ人をファラオのエジプト軍から救おうとしているのではない。ただ、当たり前の自由を人民に与えるため、命がけで戦っているのだ」

すべての人間は飲み、食べ、眠るという当たり前の営みが保障されてこそ、人間的な生き方が可能になる。その“当たり前の自由”が奪われたとき、人間は命を賭して戦いを挑む。

ふかふかした藁のベッドでぐっすりと眠り、夜明けと共に目覚めたボリーバルはバスタブにたっぷりと湯を張り、忠実な老僕のホセ・パラシオスに髭を当たらせた。

それからボリーバルはオーデコロンをたっぷりと手に取り、贅肉のない引き締まった体躯に塗り込んだ。軍服に身を固め、パラシオスが淹れた熱いコーヒーを飲む。

ボリーバルは朝食を摂らない。満腹だと思考が回らないからだ。少し空腹の方がちょうどよいのだ。

持病というほどでもないが、ボリーバルは頑固な便秘に悩まされてきた。子供の頃からのもので、毎朝、苦いセンナの瀉下剤を飲まされるのを日課とした。

「私はねえ、小さい頃から一日だって体の具合がよかったことはないよ。尾籠な話だが、私はすっきりと排便した記憶が一度もない。一度でいいから、出るものをさっぱりと出し切ってみたいものだ」

しみじみと語るボリーバルにサンタンデールは、

「それで、病気などはしたことがないのですか?」

と訊いた。

「ないよ。自分勝手に持薬を飲んだりしているが、大病をしたことは一度もない。これで気が強い方だからね、私も」

晩年、ボリーバルは肺結核を患い、47年の短い生涯を閉じることになるが、苛烈な独立戦争の最中においても、決して丈夫とは言えぬ彼の肉体は発病を許さず、この年(1819年)だけでも馬やロバ、船や徒歩で4千キロにも及ぶ行程を踏破した。

もしかしたら、ボリーバルの鋼のような強靭な精神力が、小柄な体躯に病魔の跳梁を許さなかったのかもしれない。

また、発病の余地もないくらいに、ボリーバルの生涯は劇的で、熱く激しく短いものであった。

ある時、こんなことがあった。

ベネズエラにおける独立戦争の最中、ボリーバルはカルロス・マヌエル・ピアルという白人と黒人の混血(ムラート)出身の下士官を軍令違背の罪で銃殺刑に処した。

この時、ボリーバルは減刑を拒否し、ピアルの死刑執行命令書に署名したが、刑の執行には立ち会わず、銃声が聞こえてくると彼は目に涙を浮かべ、部下を処刑させたことを悔やんだという。

ピアルの処刑については、解放軍の内部でも相当な批判もあったが、ボリーバルは黒人が嫌いで、黒人の血が流れているピアルを嫌って処刑したのだ、という風評が流れた。

解放軍兵士の多数を占める黒人の反乱を恐れたサンタンデールに、

「構わんのだ。私のような者がいなければ、組織というものは到底、成り立たんよ。私は嫌われ者で結構だ」

とボリーバルは意に介さなかった。

後にグラン・コロンビア(大コロンビア)共和国の初代大統領に就任したボリーバルは、綱紀粛正のため厳しい法を設け、

「たとえ1ペソでも国庫の金を盗んだ者は死罪とする」

と宣言した。いかに彼が罪を憎み、人を愛していたか分かる。

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土屋正裕

Author:土屋正裕
画像は南米コロンビアの首都ボゴタ中心部のボリーバル広場。明星学苑卒。

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