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誰も知らない 第6話

少女が持ってきたのはパンにケソ(チーズ)とサルチーチャ(ソーセージ)を挟んだものだ。
「グラッシアス(ありがとう)」
長沼は礼を言い、夢中して食べた。
やわらかいパンだった。
ケソは塩気がきいていて、サルチーチャの脂気も口の中でとろけた。
こんなにうまいものを食べたのは何年ぶりだろうか。
あっという間に食べ終わると、
(ヤマさんにも食べさせてやりたかった)
と思い、涙があふれた。

「ムーチャス・グラッシアス!デリシオサ・エラ!(どうもありがとう!うまかったよ!)」
長沼は合掌して言った。
「コモ・セ・リャマ・ウステ?(名前は?)」
見たところ、少女は15,6歳のようだ。
長い黒髪を肩まで垂らし、大きく澄んだ瞳が印象的な美少女だった。
「あたし、オマイラ」
「オマイラか。いい名前だ」
「あたし、もう行かなきゃ。また持ってきてあげる」
「ありがとう……」
オマイラという少女ゲリラは恥ずかしそうに小走りに去っていった。

(あの娘、かわいかったなあ……)
どうやらゲリラの少女に恋をしてしまったらしい。
相手は自分を拉致・監禁したゲリラなのだ。
(感情移入は禁物だよ……)
という山田の忠告を思い出す。
(でも、彼女は違う。俺を助けてくれたんだ)
オマイラのことが頭から離れなくなった。
(彼女、俺に気があるんだよな……)
そうでなければ人目を忍び、こっそりサンドイッチを持ってきてくれるわけがない。
(かわいいな、あの娘……)
出来ることならば日本に連れて帰りたい、と思った。

翌日もオマイラは食事を持ってきてくれた。
アルミの皿に熱々のジャガイモのスープが湯気を立てて盛られている。
牛肉の燻製が入っていて、トロリと濃い味付けでじつに美味だった。
今までにない扱いである。
ずっとパサパサのライスか、クタクタになるまで茹でたパスタに煮豆とイモやバナナのフライだけの食事だったのだ。
長沼がスープ皿を空にして返すまで、オマイラは長沼をじっと見つめていた。
それに気付いて、
「君はどうしてここにいるんだ?」
と訊ねた。
「あたし、売られたの」
オマイラはつぶやくように答えた。
彼女の話では、家庭が貧しく、親がオマイラをゲリラに売ったのだという。
ゲリラは貧しい家庭から少年少女を買い取り、訓練して兵力にしているのだ。
「つまり、君が望んでゲリラになったわけじゃないんだね?」
「あたし、お家に帰りたい。ママに会いたい。ここは嫌。毎晩、男の人に殴られるのよ。逃げたら、お前の家族を殺してやるって……」
オマイラの円らな瞳から涙があふれた。
「あいつら、君に性の相手を?なんて奴らだ!でも、君は家にも帰れない……」
哀れだ、と思った。
何とかしてやりたい、と思った。
「オマイラ、君は僕のことが好きか?」
思い切って訊いてみた。
「好きよ」
その返事を長沼は本心と受け取った。
「よし、オマイラ。僕と一緒に逃げよう。ここから逃げるんだ。自由になるんだよ」
「ダメよ、そんなこと……それに見つかったら、あたしたち、殺されてしまうわ」
オマイラはあまり乗り気ではなかった。
無理もない。逃げたところで帰る場所もないのだ。
「プレグンタ(頼む)!ソロ・セ・セバサ・エン・ウン・ド(君だけが頼りなんだ)!」
長沼はオマイラの小さな手を握りしめた。
「君も自由になりたいだろ?僕と一緒に逃げよう!」
「そんなこと言われても……」
「プロメーサ(約束する)!ここから逃げられたら、君をお母さんのところへ帰してあげよう!」
逃げたい一心で長沼は思わず口走った。
「レアルメンテ(本当に)?本当にママのところに帰れるの?」
「ああ、本当だ!一緒に逃げよう!逃げて助けを求めるんだ!僕は日本に帰れるし、君は家に帰れる!」
長沼は必死だった。
何とかオマイラを説き伏せ、ここから逃げ出すしかないと思った。
すでに拉致されてから3年になる。
ここでチャンスを逃せば、自分は一生、祖国の土を踏めないだろうと覚悟を決めた。
「頼むよ、オマイラ!君は僕が好きだろう?僕も君が好きだ!君しか頼りにならないんだ!一緒に逃げて自由になろう!」
長沼はオマイラの手を強く握った。
「エンテンディド(分かった)。ウン・ポコ・エスペラール(少し待って)。アオラ・クエーロ・ピエンソ・デ・エルラ(考えてみる)……」
オマイラは煮え切らない様子で去っていった。

次の日、オマイラは暖を取るための薪を持ってきた。
「オマイラ、僕の言ったことを考えてくれたかい?」
長沼は待ち切れずに身を乗り出して訊いた。
「本当にママに会えるの?」
「ああ、本当だ!すぐに会えるよ!」
「分かった。じゃあ今夜、ここから逃げましょう。鎖を切る道具を持ってこなくちゃ」
「ありがとう、オマイラ!」
「デセスペラード(命がけよ)。あたしたち、見つかれば殺されるわ」
「ア・シド・プレパラード(覚悟している)!」
しくじって殺されたとしても、その時は運命だと思って諦めればいい。
何もせずに殺されるよりはずっとマシだ、長沼は自分に言い聞かせた。
(生きよう!生きてここから出るぞ!そして、ヤマさんの仇を討つんだ!)
長沼は日が暮れるのを待った。
少しでも体を休めておこうと思い、横になったが、とても眠れるものではなかった。

夜になった。
オマイラがどこからかヤスリを持ってきて、長沼の足を繋ぎとめている鎖を切り始めた。
「うまく切れるといいんだけど……」
頑丈な鎖はなかなか切れない。見かねた長沼が手を貸そうとした。その時、
「ヤル・ケ・アセ(お前ら、何をしている)?!」
暗闇から大声がして、長沼は肝を冷やした。
焚き火の炎に照らし出されたのはゲリラの司令官だった。
カルロスと呼ばれている男だ。顎鬚をたくわえ、残忍そうな鷲鼻をこすって言った。
「やっぱり、お前たち出来ていたんだな?どうも怪しいと思って泳がせておいたのだ!」
万事休す、と思った。
「オマイラ!貴様、逃げてどこへ行くつもりだ?お前の親はお前を売ったんだぞ!逃げて戻っても、お前に居場所はない!育ててやった恩を仇で返すつもりか?」
「黙れ!彼女は俺が連れて行く!お前の好きにはさせないぞ!」
長沼は怒りを込めて叫んだ。
「何だと?インキャパシタード・バスタルド(役立たずのろくでなしめ)!モリー(死ね)!」
カルロスが腰のマカロフ拳銃を抜いた。
「デハール(やめて)!」
銃声が轟いた。
カルロスがのけぞった。オマイラがカラシニコフ小銃で撃ったのだ。
もはや一刻の猶予もない。オマイラは長沼の足の鎖に銃口を向けて引き金を引いた。うまい具合に鎖が弾け飛んだ。

長沼とオマイラは必死に逃げた。
銃声を聞きつけてゲリラたちが追ってきた。
「ノー・エスカパール(逃がすな)!マタール(殺せ)!」
暗闇に包まれた急な斜面を転びそうになりながら下る。
足元がおぼつかないので、気が急いても速くは逃げられない。
銃声が立て続けに響き、空気を切り裂いて銃弾が飛んでくる。
「オマイラ、こっちだ!」
長沼はオマイラの手を引き、山肌の窪みに身を伏せた。
「どこだ?奴ら、どこへ逃げた?!」
ゲリラたちの足音が迫る。
長沼は息を殺してゲリラたちをやり過ごした。
わずかな月明かりを頼りに長沼とオマイラは慎重に山を下った。

次第に東の空が白んできた。
青白い夜明けの中、長沼とオマイラは息を切らして山道を走っていた。
「ここまで来ればもう大丈夫よ」
追っ手は来ない。
長沼とオマイラは疲れ切って岩の上に腰を下ろした。
長沼は解放感に浸った。
酸欠の金魚のように口をパクパク開けて空気を吸い込んだ。
山の風が汗に濡れた肌を心地よくなぶった。
「うまくいったなあ!……やっと、自由の身になれたんだ!」
オマイラは今にも泣きそうな顔になって言った。
「逃げられたけど、あたし、もう戻れない……」
オマイラは上官を殺して脱走した。
ゲリラに見つかれば殺されるに決まっている。
「エスタ・ビエン(大丈夫さ)!君は僕のデネファクトール(恩人)だ。何があろうと僕が君を守ってみせる!」
「本当に?」
「ああ。僕と日本に行かないか?」
「でも……あたし、日本語できない。お金もないし、住むところもないのよ」
「言葉なら僕が教えてあげるよ。僕と一緒に日本で暮らさないか?」
「あなたと日本で暮らす?……」
「誤解しないでくれ。こんなつもりじゃなかったんだ。でも、僕は君が好きだ。君と離れたくないんだ」
長沼はオマイラを抱き寄せた。オマイラは抵抗しなかった。長沼は強く抱きしめた。彼女の小さな胸が潰れそうなくらい強く……。

すっかり夜が明けた。
明るい場所にいることがためらわれた。
「もっと遠くへ逃げよう。グズグズしているとゲリラに見つかるかもしれない」
長沼とオマイラは先を急いだ。
行くアテはなかったが、楽しかった。
好きなところへ行けるという自由が何よりも嬉しかった。
突然、銃声がこだました。
耳元を銃弾がかすめた。
「ペリグロッソ(危ない)!バハール(伏せろ)!」
慌てて岩陰に身を隠した。
銃撃は続き、銃弾が岩肌にえぐり、白煙を上げた。
「ゲリラか?見つかったのか?!……」
心臓が爆発しそうなくらい高鳴った。
「おい、あそこだ!あそこに隠れているぞ!」
さらに銃弾を浴びせられた。長沼は声を振り絞って叫んだ。
「やめろっ!俺たちはゲリラじゃない!逃げてきたんだ!撃たないでくれ!」
AK47突撃銃を構えた兵士が警戒しながら近付いてきた。
モスグリーンの戦闘服を着ているので政府軍かと思ったが、
「パラよ!あたしたち、パラミリタール(準軍事組織)に見つかったのよ!」
とオマイラが叫んだ。
パラミリタールとは極右の民兵組織のことである。
社会主義革命を掲げて武装蜂起した反政府ゲリラに対抗し、大地主たちが自分の土地と財産を守るために結成した私兵集団のことだが、近年は政府軍の別働隊としてゲリラへの攻撃やゲリラ・シンパとみなした市民・農民への無差別テロを行ない、その残虐さでゲリラよりも恐れられていた。

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土屋正裕

Author:土屋正裕
画像は南米コロンビアの首都ボゴタ中心部のボリーバル広場。明星学苑卒。

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