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土屋正裕

Author:土屋正裕
画像は南米コロンビアの首都ボゴタ中心部のボリーバル広場。明星学苑卒。



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コロンビアの国民食


さて、コロンビアの国民食と言えば何でしょうか?

日本では「ラーメン」「カレーライス」「寿司」などになりそうですが、コロンビアでは何と言っても「バンデハ・パイサ」です。

写真のように大皿にライスと複数のおかずをてんこ盛りにした、かなりボリュームのある料理です。

食べ方は至って簡単。まず、アボカドの果肉を適当な大きさに切ってライスに混ぜ、豆や挽肉の煮込みと一緒に混ぜて食べるだけです。

手前の黄色いバナナのようなものはプラタノ(料理用バナナ)。食感はナスの油炒めにそっくり。上の白いパンのようなものはアレパ(トウモロコシ粉のパン)、その隣はチョリソー(ソーセージ)にチチャロン(豚肉の油揚げ)です。

小さな容器に入っているのはアヒー(唐辛子)のソースです。好みでかけて食べます。

いやはや、その量の多いこと、多いこと!食べても食べても、なかなか減ってくれません。

土屋は半分ほどでギブ。もともとは力仕事をする人たちの食べ物なのですが、昼になるとどのレストランでもこれを注文する人が多いです。

とにかくコロンビア人はよく食べます。高地や熱帯では体力を消耗するため、それだけ食べないと身が持たないのでしょうが、日本人で食べ切れる人は稀でしょう。

しかし、コロンビア料理は辛くもなく、変なクセもなく、日本人の口にも合うと思うので、興味を持たれた方は一度、本場の味をお試しください。


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土屋、コカ茶を飲む!



モンセラーテの頂上では「コカ茶」が売られています。

コカの葉をティーバッグに詰め、黒砂糖とともに熱湯で煮出したものですが、土屋も飲んでみました。

感想は「甘い」。砂糖水を飲んでいるような感じで、コカの味は何もしません。

コカの葉は悪名高い麻薬コカインの原料として知られていますが、コロンビアでは一時期、麻薬カルテルが国家をもしのぐ勢力を誇り、米軍の介入で泥沼の麻薬戦争に突入したこともありました。

しかし、麻薬として使わなければ、コカはまったくの無害です。アンデスの高地に暮らす先住民たちはコカの葉をタバコのように刻んで貝殻の粉と混ぜ、嗜好品として愛用していました。

ボリビアではコカの栽培・販売が合法ですが、コカの葉を噛んでいると、酒に酔ったような高揚感が得られるそうです。

ただし、日頃から酒に強い土屋のような体質の人間にはまったく効果はありません。

コカの茶葉はお土産として売っていますが、空港でしつこく調べられるので、日本には持ち帰らない方が無難です。


謎の高山植物


モンセラーテの頂上付近に生えている謎の高山植物です。

白っぽい葉っぱは表面に産毛のようなものがいっぱい生えていて、触ると絹のように滑らかです。

どういう植物なのか気になって地元の人に尋ねてみましたが、誰も名前すら知りませんでしたorz


モンセラーテの頂上



モンセラーテの向かい側に見えるのが「グアダルーペの丘」です。

こちらは「山賊が出る」という噂なので、行く人はあまりいません。まあ、行っても見るべきものが大してない、ということもあるのですが・・・。

写真で見える山々の頂は標高が3200メートルを超えています。日本なら富士山の8合目くらいの高さです。

緑が青々と茂っているのを見ていると、土屋は「ここが本当に3千メートルもあるのか?」と疑いたくなるのですが、ボゴタは赤道間近の熱帯にあるため、これほどの高さでも気候は温帯で、年中日本の春か秋のような土地なのです。

ボゴタがもし標高の低い低地なら、ここは一年中ジメジメと蒸し暑いジャングルだったことでしょう。

熱帯地域の暑さと害虫や病原菌は人間の生活にとって大きな脅威です。標高が高いため、ボゴタには蚊やハエのような害虫もほとんどいません。

ボゴタはその高さのおかげで快適な環境に恵まれたと言えます。


モンセラーテからボゴタを望む



この日は曇りがちで、前日は雨のために行くのを断念したのですが、幸い午後になると晴れてきました。

ここで高さは3200メートル。さすがに空気が薄いのか、重たい荷物を背負って山道を登ると疲れます。

ボゴタは標高2600メートルのアンデスの盆地に広がる大都市ですが、ここから車で1時間半も走ると標高はほぼゼロメートルにまで下がり、年中蒸し暑い熱帯の地が広がります。

週末にもなると「ちょっとボゴタを下りてプールで泳いでこよう」と遊びに行く人たちを見かけます。

高地の生活が長いと色々と体に負担がかかるため、たまには低地で骨休めをしないといけないようです。

それにしても起伏に富んだ国ですね。コロンビアという国の面白さはここにもあると思います。


モンセラーテの教会


モンセラーテの丘の頂上にあるバシリカ教会です。

これは1538年、スペインのConquistador(征服者)たちがボゴタを攻め落とした際、初めて作った教会です。475年もの歴史があります。

ボゴタの地名の由来は、かつてここに住んでいた先住民ムイスカ族の王国バカタがあったことにちなんでいますが、「バカタ」じゃなくて「ボゴタ」で本当に良かったと思います。


願いの泉


モンセラーテの丘には「願いの泉」という奇妙な井戸があります。

後ろ向きでコインを投げて井戸に入れば願いがかなう、というものです。なんか、イタリアの「トレビの泉」に似ていますが、難易度はこちらの方がはるかに高いでしょう。

何故なら、井戸の真上に円形の金具が付いていて、この中に入ってからでないと無効とされるからです。

土屋もやってみましたが、無論、入るはずもなし。この日は地元の女の子たちでにぎわっていましたが、過去に日本のお笑い芸人・狩野英孝がここにやってきて何度やっても入らなかったそうです。


モンセラーテの丘


セントロから車で15分ほどの「モンセラーテの丘」に登りました。

コロンビア人は「丘(セロ)」と呼んでいますが、頂上は3200メートルを超えているので、どう見ても立派な「山(モンテ)」なのですが、ボゴタが標高2600メートルの高さにあるため、少し丘に登るだけで3千メートルを超してしまうのです。

この丘に登る手段はケーブルカー、ロープウェイ、登山道の三つがあります。我々低地に暮らす日本人は高山病をナメたらいけません。大人しく乗り物に乗りましょう。

ケーブルカーを降りてしばらく山道を登るとレストランがあります。夜景を眺めながらの食事はさぞかし最高でしょうが、ここで酔いつぶれたら大変なことになります。

高地の低酸素には強い土屋ですが、ボゴタでは何でも「慎重に」行動する必要があるのです。


ボゴタの教会


大統領府から少し坂道を登ったところにある教会です。

コロンビアはキリスト教カトリックの国ですが、カトリックにも色々な宗派があり、ボゴタのこれはカルメン派の教会です。

カルタヘナはアウグスティヌス派の教会が多いのですが、コロンビアは独立以来、教会の既得権益を重視する保守党と、教会権力の制限を目指す自由党との党派対立が長く続き、教会への弾圧や神父の追放も行なわれました。

有名なカルタヘナの「ポパの丘修道院」は1845年、コロンビア政府の迫害により閉鎖され、その後100年も放置されていましたが、その間に貴重な文化財が盗まれたりして散逸してしまいました。

カルメン派の教会は派手な装飾が特徴で、これも童話に出てくるお菓子の家のようです。


ナリーニョ宮殿(大統領府)





コロンビアの大統領が住むナリーニョ宮殿です。

コロンビア独立運動の英雄アントニオ・ナリーニョ(1765~1823)の生家で、1908年から大統領府として使われています。

2枚目の写真はナリーニョ宮殿内にある南米最古の天文台。ボゴタは高地にあり、空気が澄んでいるため、天体観測にはもってこいだったのでしょう。

道路の白線から向こう側に入ると、警備中の兵士に注意されます。近年はテロも激減していますが、ほんの10年ほど前は大統領が何度も暗殺未遂に直面するほど危険だったのです。

3枚目は宮殿の正門玄関。19世紀の軍服姿の衛兵が警戒しています。扉の向こう側に白い車と黒い車が見えますね?じつはこれ、現職のサントス大統領一行を乗せた車列なのです。

この日、土屋は偶然、サントス大統領の外出に出くわしました。普段は大統領は不在のことが多いのですが、目の前を大統領を乗せた防弾車が一斉に走っていく様は少し緊張しました。

4枚目は財務省ビル。大統領府の向かい側にあります。白バイが停まっていますが、これは大統領の外出に備えて警戒していました。


国会議事堂と議員会館


国会議事堂からナリーニョ宮殿(大統領府)を見たところです。

右側の建物が国会、車が停まっているところの左側が議員会館です。

国会と議員会館は地下通路でつながっているそうです。この周辺は要人が多くいるため、マシンガンで武装した兵士や警官が沢山いて警戒していますが、最近はあまりうるさいこともなく、土屋は手荷物検査を受けることもなく歩けました。

土屋は以前、ここで現職の法務大臣の乗る車にお目にかかったことがありますが、四輪駆動車を改造した防弾車はドアの厚さが銀行の金庫の扉ほどもあり、コロンビアでは政治家も命がけだと思ったものです。


ボゴタのボリーバル像




ボリーバル広場に立つ独立の英雄シモン・ボリーバルの銅像です。

ボリーバル像はコロンビア各地にありますが、ボゴタのは小さくてあまり見栄えがしません。カルタヘナのは騎乗で威風堂々としていますが、ボゴタの銅像はまるでお地蔵さんのようです。

この日、ボリーバルの銅像は白いTシャツを着ていました。無論、ボリーバルが着たのではなく、ボゴタ前市長の解任に反対する市民のデモ隊が勝手に着せたものです。

ボゴタでは2年前、グスタボ・ペトロという元ゲリラ戦士の候補が市長に当選しましたが、反対派に罷免されてしまいました。

日本でたとえるなら学生運動の闘士が市長になるようなものですから、保守派にとっては面白くないでしょう。

一方で、貧富の格差が激しいコロンビアでは、左翼系の政治家を支持する人も多いですから、ペトロ前市長の解任に抗議して支持者たちが座り込みを続けています。

ボリーバル像の前にテントを並べ、もうずっと居座り続けているのですが、中国で言えば天安門広場のような場所です。

独裁国家ならすぐに警官隊が出てきて強制排除でしょうが、そこはコロンビア的おおらかさと言うか、体制側も、抗議する側も、ピリピリした空気は微塵も感じられません。

ちょうどタイでもタクシン前首相の支持派と政権側が何年も対立と衝突を続けていますが、コロンビアでは歴史的にクーデターによる政権転覆がほとんどなかったため、他の南米諸国のような騒乱に発展することはありません。

長年内戦が続き、富の偏在という大きな矛盾を抱えながらも、うまく国を発展させていくコロンビアという国の底力を見せつけられた感じです。


ボリーバル広場




ボリーバル広場にやってきました。

この広場を中心に国会議事堂、ボゴタ市庁舎、最高裁判所、ラ・カテドラル(教会)が並んでいます。言わば「コロンビアの永田町」のような場所。

ラ・カテドラルは1811年に建てられた石造りの教会で、「南北アメリカ大陸で最も美しい教会」と言われています。

教会の左隣にある白い建物は「7月20日記念館」で、1810年7月20日にコロンビア(当時はヌエバ・グラナダ副王領)がスペインから独立を宣言した場所です。

3枚目の写真は最高裁判所兼法務省ビル(通称・正義宮殿)。1985年11月6日、500人の人質を取って立てこもった左翼ゲリラと政府軍の戦闘で、人質に115人の死者を出した悲劇の場所です。

かつては国会にもゲリラがロケット弾を撃ち込むほどボゴタも危険でしたが、今は銃声ひとつ聞こえず、多くの市民でにぎわっています。


サンバルトロメ学院


セントロの中心部にはコロンビアの象徴であるボリーバル広場を囲んで重要な施設が並んでいます。

写真は国会議事堂に隣接するコレヒオ・マヨール・デ・サンバルトロメ学院です。

1604年に創設されたコロンビアで最も古い由緒ある学校です。徳川家康が江戸に幕府を開いた頃に出来た学校ですから、じつに400年以上もの歴史があります。

コロンビアの初代大統領サンタンデール将軍の母校ですが、ボゴタは19世紀から学術や文芸が栄えた都で、「南米のアテネ」と呼ばれていました。


緑のボゴタ


ご覧のようにボゴタは緑の豊かな街です。

標高2600メートルという高地にありながら、赤道間近の熱帯に属するため、年中気候が温暖で、植物の繁殖に適した環境にあるためです。

日本では車で行ける富士山の5合目でも緑はわずかですから、何とも不思議な光景です。


ボリーバルの窓


サンカルロス宮殿の周辺は、かつて独立戦争を戦った英雄シモン・ボリーバルの側近たちが多く住んでいました。

そのボリーバルも敵が多く、独立戦争中は宿敵スペインの刺客に付け狙われ、独立後は政治的な対立から多くの敵に命を狙われ続けました。

英雄の宿命ですが、ボリーバルは何度も暗殺未遂の危機を乗り切っています。

中でも1828年9月25日に起きた暗殺未遂事件では、ボゴタに滞在していたボリーバルが暗殺者に襲われ、辛くも脱出して事なきを得ています。

写真はボリーバルが脱走に使った小窓。かなり小さいです。ここから表に飛び降り、橋の下で寒さに震えて夜を明かしたという逸話が残っています。

ボリーバルは2年後に結核のため世を去りましたが、彼の後継者を標榜してベネズエラの大統領になったウゴ・チャベス氏も今年3月、ガンで亡くなりました。

反米の急先鋒だったチャベス氏の死は、南米では「暗殺説」の噂が絶えず、コロンビアでも「放射性物質を盛られた」という噂話が広まっています。

真実はどこに?南米の歴史の闇は深いです。


コロン劇場とサンカルロス宮殿



土屋が泊まったホテルの隣は国立コロン劇場です。

19世紀に作られた歴史の古い重厚な建物です。その向かい側にサンカルロス宮殿があります。

かつての大統領府で、現在は外務省です。昔は外国からの賓客が泊まる迎賓館のような役目を果たしていて、正面のコロン劇場で観劇した後、サンカルロス宮殿に泊まる、というのがコロンビア流のおもてなしだったようです。


セントロの朝





セントロの朝です。

コロンビア人は「朝型」人間が多いです。ボゴタは早朝5時頃から通りの交通量が増え始め、6時にもなるとラッシュが始まります。

ボゴタには鉄道がなく、地下鉄を建設する計画が進んでいますが、市民の足はバスかタクシーに限られます。

晴れている日は空気がカラッと乾燥していて気持ちいいのですが、アンデスの高地にあるため排ガスも凄いです。

ところで、コロンビアはどの町に行っても同じ石鹸の香りがするのですが、これは何故でしょう?不思議とボゴタもカルタヘナもレティシアも同じです。

コロンビアと言えば「コーヒーの香り」を連想する人も多いと思いますが、土屋の場合は「石鹸の香り」をイメージするのです。

まさか、コロンビアには石鹸メーカーが一社しかないわけでもないでしょうが、土屋がずっと気になっている「コロンビアの不思議」です。


セントロのホテル





この晩はセントロのホテルに泊まりました。

このホテル、19世紀の初めに作られたものです。200年以上の歴史がある古い建物です。

かつてここには独立の英雄シモン・ボリーバルの側近たちが住んでいました。そこに土屋が泊まれるなんて感無量です!

ボゴタはスペイン支配下から475年の歴史を誇る非常に古い街です。日本の戦国時代に建てられた教会や建物があちこちに普通に残っています。

地震が少なく、高地で火災も少なく、石造りの建造物が多いためですが、二度の世界大戦の被害をまったく受けなかったことも大きいです。

ただ、残念ながらボゴタは1948年4月9日の大暴動(El Bogotazo)と内戦で市街地が少なからず破壊され、世界遺産の仲間入りを果たすことは出来ませんでした。

コロンビアの美しい風景と血塗られた歴史。この国がたどってきた苦難の道を示すように夜半まで雨が降り続きました。


コロンビアの郷土料理




さて、腹が減ったのでセントロのちょっと高級なレストランに入りました。

前菜は牛肉のカルパッチョ。寒い日でしたが、クラブ・コロンビアがうまい。

メインはコロンビアの代表的な郷土料理、アヒアコです。

アヒアコは鶏肉をジャガイモやトウモロコシなど沢山の具材とともに煮込んだシチューのような濃厚なスープです。

好みでサワークリームをかけて食べます。ここのトウモロコシはとにかく大きく、日本のものとは味も違います。豆を食べているような感じ。

コロンビアは鶏肉料理が多いのですが、土屋がこれまで訪れた国では鶏肉が一番美味なのは間違いなくコロンビアでした。

肌寒い日はアヒアコを食べると体が温まります。ちなみに、日本にはコロンビア料理の専門店はなく、コロンビアを味わえる機会がほとんどありません。

コロンビア料理は日本人の舌にも合うと思うので、どこかのメーカーが日本風にアレンジして売り出せば結構売れると思いますね。


夜のセントロ


夜になっても冷たい雨が降り続きました。

写真はボゴタ中心部のセントロ(旧市街)です。

スペイン統治時代をしのばせる歴史の古い建造物が建ち並んでいます。

ボゴタの街はセントロを中心に、北がノルテ、南がスールに分かれており、北に行けば行くほど高級住宅街が広がり、南に行けば行くほどスラム街が広がっていきます。

かつては夜間、セントロをひとりで歩くなんて自殺行為でしたが、治安の改善で今は夜遅くまで多くの商店がにぎわっています。


ボゴタのコーヒー


コロンビアと言えば何と言ってもコーヒーですが、この日、ボゴタは夕方から降り始めた雨で正直かなり寒い一日でした。

標高2600メートルもの高さにありますから、降ってくる雨はとても冷たいです。

日本でも有名な「フアン・バルデスおじさん」のコーヒーショップで熱いコーヒーを一杯。

ちなみに南米では物価が安いと言われているコロンビアでも、ここ数年はじわじわと物価が上昇しつつあり、2年前に土屋が来た時はミネラルウォーターが一本2千ペソでしたが、今は3千ペソに値上がりしています。

経済が好調なので、給料が上がっても物価がどんどん上がって行きますから、どこの国でも庶民の生活は大変です。


ボゴタに雨が降る



この日、ボゴタは夕方から雨が降りました。

ボゴタの雨季は9月から11月ですが、近年は雨季と乾季の区別があまりなくなっており、12月なのにボゴタは雨のそぼ降る肌寒い日が続いています。

土屋は雨に濡れたボゴタの街が好きです。晴れの日のボゴタは空気がカラッと乾いていてじつに気持ちいいのですが、土屋は手を伸ばせば届きそうなほど雨雲が低く降りてくるボゴタの空が好きなのです。


ボゴタ上空




土屋を乗せたラン航空機はボゴタ上空に差し掛かりました。

この日、ボゴタは晴れていたのですが、午後から急に曇ってきて夕方は雨になりました。

ボゴタは標高2600メートルのアンデス山中の盆地にあります。日本では富士山の7合目くらいの高さです。

この高さで飛行機を離着陸させるのは結構難しいのです。この日も風向きが変わったとかで飛行機はなかなか着陸できず、上空を20分ほどぐるぐる旋回していました。

着陸が困難な空港ということもあり、ボゴタではこれまで航空機の大事故が起きたという話は聞いたことがありません。

ボゴタに戻ってくると何故かホッとする土屋です。


昼の弁当



飛行機の時間に間に合わないので、ホテルで弁当を作ってもらいました。

飛行機が無事離陸して、さて食べようと蓋を開けたら、これが半端じゃないボリュームです。

サラダとフライドポテトはいいとしても、メインのアロス・コン・ポヨ(チキンライス)は日本の5人前くらいあります。

コロンビアは「おもてなしの文化」の国なので、どこに行っても食べ切れないくらい料理を山盛りにして出してくるのですが、全部平らげずに残した方が「満足してくれた」と受け取られるので、食べ切れない場合は構わず残しましょう。

さすがに土屋もこの量は圧倒されました。半分ほど食ったところでお手上げ。勿体ないですが残しました。


さらば、アマゾン!


アマゾンともお別れです。

アマゾンは地球上最後の秘境です。特にコロンビアは長年の内戦で国内の開発が進んでいなかったため、今も手つかずの大自然が残されています。


チリのラン航空




帰りはチリのラン航空に乗りました。

機内サービスはパナマのコパ航空より充実していました。

プラタノ(料理用バナナ)のお菓子とアレキペ(牛乳を煮詰めた甘い菓子)が入っていました。

コロンビアはどこに行っても「バカじゃないか?」と思うくらい甘ったるい菓子が山ほど出てきます。糖尿病になりそうですが、やはり日本人とは体質が違うのでしょうね。


アルフレッド・コボ国際空港



長らく滞在したレティシアともお別れです。

レティシアのアルフレッド・コボ国際空港は田舎の小さな空港です。1932年、ペルーとの戦争に勝利したコロンビアの将軍の名前にちなんでいます。

レティシアはコロンビア、ペルー、ブラジルの国境地帯にあるため、三国の軍・警察の監視の目が行き届いていて、コロンビア国内では特に治安の良い場所です。

日本では麻薬やゲリラの話題ばかりですが、コロンビア各地をうろついていて土屋が身の危険を感じたことは一度もありません。

来年はサッカーの話題で知名度が急上昇するでしょう。これを機に日本の皆さんもこの国に注目してみてください。


アマゾンの船・ペケペケ


アマゾンの交通手段は主として船です。

大型船も運行していますが、僻地に暮らす人々の重要な移動手段は小型の船です。

地元では「ペケペケ」と呼びます。船外機の爆音が「ペケペケペケペケ・・・」と聞こえるからです。

まあ単純ですが、小型船は大型船とすれ違うたびに大波に激しく揉まれて揺れますから、船酔いをする人はここでの生活はキツイかもしれません。


アロワナ



アマゾンの大魚、アロワナです。

昔、池袋のサンシャイン水族館で見た記憶があります。体長は大きなもので2メートルにもなります。ここでは食用です。

大きな口の中に子供を入れて育てるそうです。アマゾンでは何でも食べますが、淡水魚なのに泥臭くもなく、油で揚げたりスープの具にするだけですが、とても美味です。


魚屋の夫婦


魚屋の夫婦が写真を撮ってくれとせがむので撮りました。

この夫婦もそうですが、レティシアは先住民系の人が多いです。

ボゴタは白人系、カルタヘナは黒人系が多いですが、どこに行っても日本人は珍しいので、土屋もしきりに写真を撮らせてくれとせがまれます。

まあなんちゅうか、反日感情のない国は居心地がいいですね。


ドラードとピラニア





写真の大きなナマズがドラードです。

輪切りにしてフライにします。白身魚ですが、脂がのっていてじつに美味です。ブリのような食感です。

おっちゃんが手に持っているのはピラニア。獰猛な魚で有名ですが、ここでは雑魚扱い。脂がなくてあまり美味しくないのだとか。


レティシアの魚市場



レティシアの魚市場は品揃えが豊富です。

日本では見たこともないようなアマゾンの淡水魚が所狭しと並べられて売られています。

写真の赤いナマズ、見てくれはグロいですが、味は美味なのだそうな。

贅沢さえ言わなければアマゾンには何でもあります。ここで暮らすのも悪くはないかもしれません。


レティシアの市場


レティシアに戻り、町の市場をぶらぶらしました。

市場では肉でも魚でも野菜でも何でも売っていますが、中でも果物は質量ともに豊富です。

写真はアラサーという果物。日本では土屋のような30過ぎのオッサンのことですが、ここではトロピカルフルーツのことです。

アラサーは搾ってジュースにします。爽やかな甘さで美味。どこに行ってもアラサーのジュースが出てきます。そのくらい身近な果物です。


ブラジルからアマゾン川を望む





ブラジル側からアマゾン川を見ます。

本当に広大です。まるで海の上にいるような錯覚を覚えます。

これから雨季が本格化すると水位が劇的に上昇し、崖のところまで川岸が這い上がってきます。

前回の雨季で崩れたのか、崖っぷちはヤバイことになっていました。

雨季で増水するたびに川の中州が流されて消えたり、逆に上流から大量の土砂が流れてきて新たな小島が出来たりするので、アマゾン川の地図は毎年書き換えられていきます。

いや~、自然って壮大ですね。


ブラジルのタバティンガ


ブラジルのタバティンガです。

この町もアマゾン川に面しています。レティシアより人口は多く約5万人。

隣国という感じはしません。強いて言えば、コロンビアはスペイン語、ブラジルはポルトガル語という違いだけです。

ここも漁業や農業が主要産業の小さな田舎町ですが、町の外れにはブラジル軍の基地があり、空港もあります。

ブラジルのマナウスまで飛行機で約3時間。そこで乗り換えればサンパウロにも行けます。


ブラジルとの国境線



レティシアはブラジルのタバティンガという町と国境を接しています。

この日、土屋はタクシーで国境を越えてブラジル側に行きました。

レティシアはかつてペルー領だったこともあり、複雑な国境線のため、隣国同士の行き来にパスポートは必要ない特例措置が採られています。

国境には検問所がありますが、特に調べられるわけでもなく、隣町に買い物に行くような感覚でブラジルに行けます。

周囲を海に囲まれ、陸続きの国境がない日本ではちょっと想像できないですね。


ホテルのインコ


ホテルの裏庭にインコがいました。

ホテルで飼われているインコです。とにかく鳴き声がうるさいのですが、レティシア周辺だけで5千羽ほどいるそうです。

地元の人はすっかり慣れているのか、鳴き声がうるさいと文句を言う人はいませんね。


レティシアの空


この日、レティシアは朝から曇りがちの天気でした。

すでに雨季が始まっており、しょっちゅう大雨が降ります。

ボゴタは雨季が終わっているのですが、アマゾンはこれからが雨季の本番。ひとつの国にこれほど多様な環境があるコロンビアという国は本当に広大なのです。


コロンビアのビール



コロンビアでは「クラブ・コロンビア」という地ビールが有名です。

どの町に行っても、ビールと言えばこれです。他にメキシコのコロナ・ビールも売れていますが、何といってもコロンビアのビールはこれだと思います。

コロンビアのビールは美味しいのですが、それはかつてドイツからの移民が多く移住し、本場のドイツ・ビールの製法がコロンビアにも伝わったためだと言われています。

土屋はこのビールを飲みながら、またドラードのフライを食べました。この魚、マジでうまいんです。

レティシアは暑ささえ我慢すれば、かなり住みよいところだと思います。


レティシアの夕焼け


レティシアの夕焼けは壮大です。

日本ではまず見ることのない巨大な積乱雲が地平線の上に湧き上がってきて、土屋は「ああ、俺は遠いところに来たんだなあ」とため息をつきました。


レティシアの町



レティシアの街並みです。

ここの住民はほとんどが漁業や農業で生計を立てており、街中には信号がほとんどないくらいのんびりしています。

市場には大量の果物や魚、肉、なんでも売っています。燃料は薪なので、雨に濡れないようシートをかぶせて通りの隅に置かれています。

ホテルのシャワーは電気で水を温める仕組みになっているのですが、温度調節が出来ず、バカみたいに熱い湯がドバドバ出てきて、日焼けで火照った土屋はひとりで怒っていました。


アマゾン川の色


プエルト・ナリーニョを流れるアマゾン川の水の色は黒いです。

これは植物のタンニンが多く含まれているためです。まるで墨汁を流したような真っ黒な水が流れています。

広大なアマゾンは場所によって川の色が違います。ここより下流のレティシアはコーヒー色ですが、上流に近付くにつれてだんだん黒っぽくなってきます。

ここにはピンクのカワイルカが住んでいて、土屋もほんの少しだけイルカが飛び跳ねるのを見ました。


アマゾンのランチ


腹が減っていたので町にひとつしかないレストランで昼飯を食べました。

スープの具はバグレというナマズ。ドラードという大きな白身魚のフライにキャッサバの揚げ物、ライスはパスタを混ぜたものです。

とにかくここの食事は量が多いです。熱帯で力仕事をする人はそれだけ食べないと体が持たないのでしょうが、日本人には量が多すぎます。

しかし、ここの魚は美味です。冷房は大きな扇風機のみ、熱風が吹き込んでくるレストランで、土屋は大汗をかきつつせっせと平らげました。


プエルト・ナリーニョの町




土屋はアマゾン上流のプエルト・ナリーニョという小さな町に上陸しました。

レティシアからここまで約180キロ。小さな船に揺られてかなり疲れました。

この町は雨季の増水に備えて、住宅街は川岸から離れた小高い丘の上に作られています。

もともとこの辺には人が住んでいなかったため、コロンビア政府が自国民を入植させて作った町です。

アマゾンの僻地ですから、政府の補助金で住民はかなり豊かな生活を送っています。

コロンビアの最低賃金は法律で280ドルと決まっているのですが、ここの住人の収入は平均で500ドル以上もあり、コロンビアでは恵まれています。

水道が未発達で、住人は雨水をタンクに溜めて使っているのですが、各家庭が大きなパラボラ・アンテナを取り付け、衛星放送を見ています。

何もない町ですが、暑さを我慢すれば結構住みやすいところだと思いますね。


先住民の集落



アマゾン先住民ティクナ族の集落です。

ここで土屋は先住民からマンゴーをいただきましたが、レティシアのホテルで食ったやつより美味でした。

南米の先住民はモンゴロイド系の血が流れているせいか、我々日本人と顔立ちの似た人が多く親近感を覚えます。


川の上の国境


写真右側がペルー、左側がコロンビアです。

この辺は両国の国境線が複雑で、川の上に国境があるため、お互いの国がパスポートなしでも行き来できます。

隣り合った国同士仲が悪いのは世界共通ですが、南米はあまり隣国との対立がありません。

親米派のコロンビアは反米のベネズエラと仲が悪いのですが、それでも戦争に発展するようなことはなく、そこらへんはいかにもラテン的なアバウトさというか、まあじつにのんびりしたものだと思います。


アマゾンのジャングル



アマゾンの対岸は鬱蒼たるジャングルです。

前日に大雨が降っていたため、地面は泥沼でゴム長がないと歩けません。

先住民は大木の幹を棒で叩き、モールス信号のように遠くの仲間たちと連絡を取り合っていたそうです。


雨季のアマゾン川


アマゾンは12月から4月にかけて長い雨季に入ります。

これから雨季のシーズンが本格的に始まりますが、今はまだ浅瀬のこの辺もあと1ヵ月もすれば完全に水没します。

向こう側がアマゾンの本流ですが、本流と支流では水の色が違います。本流は上流から流されてくる土を大量に含むためコーヒー色ですが、支流は植物のタンニンを多く含むため黒色です。

このふたつの川も雨季に突入すれば一本化し、区別がなくなります。つまり、この光景は乾季にしか見られないものです。

雨季の増水に備えて、川岸の船着場や住居はハシケの上に作られており、川の水位が上がると一緒に浮き上がる仕組みになっています。


土屋、リスザルに襲われる!



土屋は船でアマゾン川の上流を目指して移動中、上陸した小島でコモンリスザルという小猿の大群に襲われました。

地元ではエル・ミコと呼ばれる小さなサルですが、こやつらは人間を見ると一斉に襲いかかってきて体によじ登ろうとします。

一匹だけ土屋から降りようとしないおさるさんがいました。そんなに居心地が良かったのでしょうか?

そういや俺、申年だったorz







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