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Author:土屋正裕
画像は南米コロンビアの首都ボゴタ中心部のボリーバル広場。明星学苑卒。



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コロンビア略史

コロンビア略史

スペイン人の到来前はチブチャ族の王国バカタが栄えていた。チブチャ人はペルーのインカ帝国に匹敵する高度な文明を持ち、特に金細工の加工技術は完成度が極めて高く、現在もその一部が国立黄金博物館に展示されている。チブチャ族の他、カリブ海沿岸のラ・グアヒラ半島ではタイロナ人が組織化された都市計画、灌漑技術、軍隊を持ち、山岳部に住むチブチャ人との交易が盛んだった。

1538年、スペインのコンキスタドール(征服者)、ゴンサロ・ヒメネス・デ・ケサーダがチブチャ族のバカタ王国を滅ぼし、ここに現在の首都ボゴタを建設。以降、ボゴタが南米大陸北部の要衝となる。

1571年、スペインはボゴタに副王を置き、ヌエバ・グラナダ(新しいグラナダの意)副王領を設置。エンコミエンダ制により現地の宣教師に先住民インディオの保護・教化と彼らの労働力を利用することを認める。事実上の奴隷制度であり、農場や鉱山での過酷な労働や疫病の流行で先住民の人口は激減。労働力不足を補うためアフリカ大陸から黒人奴隷を導入。

1781年、ソコロ地方(現在のサンタンデール県)でタバコ税などの重税に抗議するクリオーリョ(現地生まれの白人)を中心とするコムン(革命委員会)が結成され、「コムネーロスの反乱」が起きるが、ボゴタ副王フローレスは反乱の指導者ホセ・アントニオ・ガランをボゴタで四つ裂きの極刑に処し鎮圧。

19世紀に入るとナポレオン戦争で宗主国スペインがナポレオン・ボナパルト率いるフランス帝国軍に占領され、フランス傀儡のスペイン政府への服従を美としない植民地で独立運動が活発化する。

1810年7月20日、ヌエバ・グラナダ出身のクリオーリョ、アントニオ・ナリーニョ(1765~1823)がボゴタ副王を追放し、クンディナマルカ共和国の独立を宣言。これがコロンビア独立記念日となる。

その後、カリブ海沿岸の港湾都市カルタヘナを中心とする連邦主義者と、ボゴタを中心とする中央集権派の対立に付け入る形で、1814年にはスペイン本国の王政復古で即位したフェルナンド7世が反動的政策を採り、本国から派遣されたパブロ・モリーリョ将軍率いる軍勢により独立派は徹底弾圧される。

ベネズエラ出身の革命家シモン・ボリーバル(1783~1830)と、ヌエバ・グラナダ出身の軍人で法律家のフランシスコ・デ・パウラ・サンタンデール(1792~1840)が共闘し、ベネズエラ領内から反撃を開始し、1819年8月7日の「ボヤカの戦い」でスペイン軍に決定的な勝利を収め、コロンビアは「グラン・コロンビア(大コロンビア)」として独立を果たす。

しかし、中央集権派のボリーバルと連邦派のサンタンデールの政治的対立から1830年にはベネズエラ、エクアドルが分離し、コロンビアはヌエバ・グラナダ共和国として再編成される。

ボリーバルとの政争に敗れたサンタンデールは国外追放されるが、ボリーバルの死後帰国し、初代大統領に就任。法治主義による民主主義統治が図られ、ボゴタは文化・学術が栄え「南米のアテネ」と呼ばれた。

その後も集権派(保守党)と連邦派(自由党)の対立と衝突が続き、政治的に不安定な状況が続く。他方、保護貿易による産業の振興が図られ、コーヒー栽培がコロンビアの基幹産業となる。

1899年、コーヒー豆価格の暴落からコーヒー農家を中心とする自由主義者による武装蜂起。保守党政権が弾圧し「千日戦争(グエラ・ミル)」が発生。約3年に及んだ内戦で死者7万5千~15万人。

1903年、パナマ地峡がパナマ共和国として分離独立。パナマ運河の権益確保を狙うアメリカの政治的干渉が強まる。

この頃、コロンビアは政治的に安定し、米国資本の導入で経済開発が進む。ユナイテッド・フルーツ社が経営するバナナ農園では労働者の待遇改善を求める争議が多発。

1928年、カリブ海沿岸のサンタマルタのバナナ農園でスト労働者の虐殺事件が発生。事件を非難した自由党のホルヘ・エリエセル・ガイタン(1903~1948)がカリスマ的人気を博す。1932年、コロンビアはペルーとの戦争に勝利し、アマゾン地方のレティシアを領有。

1930年の総選挙で自由党が圧勝。以降、1946年まで自由党政権が続く。農地改革が行なわれたが、自由党の左傾化を警戒する保守党右派や地主・軍部は白色テロで対抗。46年には保守党穏健派が政権に返り咲き、政治的暴力(ラ・ビオレンシア)が激化する。

1948年、ボゴタでガイタン暗殺。ボゴタ暴動(ボゴターソ)発生。保守党政権は自由党員を徹底弾圧。1950年の朝鮮戦争ではコロンビアは中南米で唯一援軍を派遣。保守党強硬派のゴメス政権に対し自由党左派と共産党は地方でゲリラ戦を展開。

1953年、軍部のグスタボ・ロハス・ピニージャ将軍による軍事クーデター発生。ゴメスを追放、コロンビア史上唯一の軍事政権。ロハス政権は宥和政策を採り、自由党左派も停戦に応じる。だが、ロハスのポプリスモ(人民主義)政策は保守派の反発を招き、内戦が再燃。

1956年、ロハス政権に抗議した学生が虐殺される「牛の首輪虐殺事件」発生。57年、ロハス政権はデモとゼネストで退陣に追い込まれる。同年末、自由・保守両党は停戦と政権折半に合意。約10年に及んだ内戦が終結。犠牲者は10万~20万人。

1959年、キューバ革命。コロンビアでも複数の左翼ゲリラ組織が結成される。

1964年、コロンビア最大の極左ゲリラ「コロンビア革命軍(FARC)」結成。政府軍の弾圧を逃れコロンビア南部のジャングルを拠点にゲリラ戦を展開。

1965年、キューバで訓練された学生らが第二の左翼ゲリラ「民族解放軍(ELN)」結成。66年、「解放の神学」を唱えたカミロ・レストレポ神父がELNに参加し戦死。

1970年、総選挙で軍政時代の指導者ロハスが僅差で保守党候補に敗れる。支持者は不正選挙として暴動。「4月19日運動(M19)」結成。都市ゲリラを展開。

1978年、自由党のトゥルバイ・アヤラ大統領がグアヒラ半島での大麻(マリンベラ)取り締まりを強化。麻薬業者はアンデスのコカイン生産と密輸を開始。麻薬戦争が始まる。

1985年、ボゴタで最高裁判所占拠事件発生。麻薬密輸組織「メデジン・カルテル」と政府治安部隊の戦闘が激化。同年11月、ネバド・デル・ルイス火山が噴火。死者2万5千人。

1989年、ビルヒリオ・バルコ大統領が麻薬カルテルに宣戦布告。麻薬戦争激化。カルテルは無差別テロで対抗し内戦状態に突入。

1993年、メデジン・カルテル最高幹部のパブロ・エスコバルがコロンビア治安部隊により射殺される。95年には第二の「カリ・カルテル」のロドリゲス兄弟も逮捕され壊滅。左翼ゲリラが麻薬ビジネスを引き継ぐ。

1999年、アンドレス・パストラーナ大統領が最大の左翼ゲリラFARCとの和平交渉を開始。米国はコロンビアのコカ生産を撲滅する「コロンビア計画」を始動。コロンビア内戦への介入強める。

2002年、和平交渉が決裂。同年就任したアルバロ・ウリベ大統領は「テロとの戦い」を強調。米軍の支援で左翼ゲリラ撲滅を目指す。

2006年、ウリベ再選。07年からベネズエラのウーゴ・チャベス大統領の仲介で人質解放交渉開始。

2008年、コロンビア空軍がエクアドル領内のFARC拠点を空爆。最高幹部のラウル・レジェスらを殺害。ベネズエラとエクアドルは反発。アンデス危機に発展。

2010年、フアン・マヌエル・サントス大統領が当選。2012年からFARCとの和平交渉再開。2016年、FARCが停戦と武装解除に合意。サントス大統領、ノーベル平和賞を受賞。

                    

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