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Author:土屋正裕
画像は南米コロンビアの首都ボゴタ中心部のボリーバル広場。明星学苑卒。



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カルタヘナの海


カルタヘナの海です。

これはカリブ海ですが、大西洋ともつながっています。

もっと天気が良ければブルーインクを流したような鮮やかな青い海なのですが、この日は雲が多くて灰色がかった青でした。


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カルタヘナの犬


カルタヘナの商店街で気持ちよさそうに昼寝している犬を見つけました。

コロンビアはどこの町でも犬をよく見かけますが、日本のように首輪をはめて飼い犬にしているわけではなく、ほとんど野良犬のように放し飼いにされています。

日本だったら飼い主の責任問題になるところですが、ここでは誰も気にしません。犬は車道でも我が物顔で走り回っていますし、お店の中に入ってきても誰も追い出そうともしません。

犬もたくましくそこらへんに落ちているものを漁ったり、車が猛スピードで走り抜けていく大通りを巧みに駆け抜けていくのを見ます。

ペットを飼える裕福な人が少ないというのもあるのでしょうが、日本で飼い犬に服を着せている飼い主を見ていると、ちょっと過保護と言うか、やり過ぎだと思います。

コロンビアでは犬も鳩も多いのですが、駆除しているのを見たことがありません。そういうところも大らかな国民性と言うか、いかにもコロンビアらしいと思います。


カルタヘナの商店街



城塞を後にし、カルタヘナの商店街にやってきました。

コロンビアのお店はどこも派手な原色を多用した華やかな造りで、日本人からすればちょっとくどいようなところもありますが、カルタヘナの人たちはいずれも親日的で、フレンドリーでした。

私はここでジャッキーという女の子と親しくなりましたが、彼女は日本文化が好きで、日本語を勉強しているそうで、流暢な日本語を話して私を驚かせました。

ジャッキーは本名がジャクリーンと言うのですが、コロンビアはスペイン語圏なのになぜか英語圏の名前の人が多いのです。

これは昔、コロンビアを支配していたスペインがイギリスと敵対関係にあり、無敵と言われたスペインの艦隊をホレーショ・ネルソン提督(1758~1805)率いるイギリス海軍が撃破したことで、憎いスペインを打ち負かしたイギリスに人気があるためです。

外国に侵略された歴史のない日本では、あまりピンと来ないかもしれませんが、そういうところで民族的な怨念のようなものを感じます。

ただ、コロンビアはスペインと戦って独立を果たし、すでにその時点で過去の恨みは晴らしたので、今でもスペインを悪く言うような人はいません。中国人や韓国人が日本人を恨みに思い、今も悪く言うのとは違います。

そういうところはいかにもコロンビア的と言うか、大らかな国民性だと思います。


城塞の壁


城塞の壁をよく見てください。

サンゴと石灰岩を砕いてセメントを作り、レンガを積み上げて作っているのが分かります。

大変な重労働だったと思います。奴隷たちを酷使して作らせた暗い歴史の証人でもある城塞は、今は多くの観光客で明るくにぎわっているのでした。


城塞の監視塔


城塞上部の監視塔です。

銃眼が開けられていて、かつてはここで兵士が迫ってくる敵に狙いを定めていたのでしょう。

私は日本の城郭も好きですが、カルタヘナの城塞はスペインと南米の文化がミックスされた独特の雰囲気があって、日本のとはまた違った良さがあります。


城塞の大砲


大砲をアップで見てみましょう。

下の方に小さな穴がありますね。筒先から火薬と弾を押し込み、下の穴から火をつけて発射していたのです。

ひんやりと冷たい大砲の触感を楽しみながら、かつてはこれが触れないほど熱くなるくらいの戦いが行なわれていたのだな、と思いました。


サン・フェリペ城塞内部





城塞の上にやってきました。

ここはスペイン軍が外敵や海賊からカルタヘナの町を守るために築いたもので、とても堅牢な造りになっています。

スペインがこの地を征服した直後の1536年から建設が始まり、およそ20年の歳月をかけて完成しました。

写真でも分かるように、大砲はすべて海側を向いています。カルタヘナは度々、金銀財宝を狙うイギリスやフランスの艦隊、海賊たちの襲撃を受けましたが、この城塞のおかげで侵入者たちはいずれも撃退されたのです。

これを作るだけでも大変なことだったと思います。何しろ、当時は現代のような重機もなかったわけですから。しかも、こんな暑い土地ですから、当時の苦労がしのばれます。


城塞の地下道


中は薄暗いです。

小さな部屋がいくつもあり、昔はここに兵士が待機していたということです。

内部は湿気がひどく、床はツルツルと滑りやすいです。

この先はどんどん道幅が狭くなり、しかも傾斜がきつくなってきて、足元も悪いので、私は転ばないように歩くのが精一杯でした。

昔はろくな照明もない(ロウソクやカンテラ程度のものでしょう)のに、よくこんなところで戦ったと思います。

昔の人は現代人の想像を絶する強さがあったのかもしれませんね。


城塞の砦


城塞の砦です。

右下に見える入り口から中に入ると、狭い地下道が延々と続いています。

では、中に入ってみましょう。


城塞から市内を望む


城塞の上から市内を眺めます。

カルタヘナもカラフルな色彩の家が多いです。この日は雲が多かったのですが、日差しはさすがに熱帯らしいキツさで、私は一日で真っ黒に焼けました。

少し歩くだけで汗が噴き出してくるので、水売りからミネラル・ウォーターを買って飲みました。一本2000コロンビア・ペソ(約80円)。

コロンビアは水資源の豊富な国で、海外では珍しく水道の水質がよいので、飲み水に困るということがありません。ボゴタでもカルタヘナでも、普通に水道の水を飲むことが出来ます。

私が昔行ったメキシコでは、水が悪いためダイエットコーラで手を洗った(砂糖が入っていないので水と同じ)ものですが、コロンビアでは水を気にすることがありません。

そういうところでもコロンビアは暮らしやすいな、と思います。


昔の大砲


これは大砲。

実際に使われていたものですが、今はただゴロンと置いてあるだけなので、「もうちょっと展示の仕方を工夫しろよ!」と思いました。


城塞の入り口


城塞の入り口には「観光警察」という警察官が立っていて、しっかりガードしてくれていますから、スリやひったくりを気にする必要はありません。

この日は観光客は少なかったですが、私が長い坂を登っていくと、物売りのお兄さんが「チャイニーズだ!」と大喜びして帽子や土産物を売りつけてきました。

「ノー、ハポン!(違う、日本人だ!)」と言ってやりましたが、ここでも中国人の旺盛な経済力は知られていますから、今は日本人より中国人の方が豊かだという認識がコロンビア人の間にも広がっているようです。


サン・フェリペ城塞


こちらは世界遺産の「サン・フェリペ城塞」です。

なぜか巨大な靴のオブジェがあります。何のためにこれを作ったのかはよく分かりません。コロンビア人はとにかくこういう訳の分からないものを作りたがります。


修道院の装飾


これも修道院の内部です。

手の込んだ装飾が施されていますね。


修道院の主たち


写真はかつての修道院の主たちの顔ぶれです。

中央の一番下にシモン・ボリーバルがいますね。私はつくづく思うのですが、よくこんな暑苦しい服装で冷房のない時代を過ごせたものだと思います。


大砲の砲弾


これは昔の大砲の弾です。

カノン砲と呼ばれる大砲にこの砲弾と火薬を詰め、点火して発射しました。この時代の砲弾には火薬が入っていないため、命中しても爆発することはなく、対象を破壊する程度のものでした。


黄金製の飾り


これは修道院に展示されているスペイン時代の黄金製の飾りです。

近くで見ると非常に細かく作り込まれているのが分かります。

かつてスペインは「太陽の沈まぬ帝国」と言われ、コロンビアをはじめ中南米に広大な植民地を持ち、栄耀栄華を極めたものですが、今は見る影もなく落ちぶれ、ギリシャ危機から始まったヨーロッパの経済危機は今やスペインにも拡大しそうな状況です。

コロンビアという国名の由来は、アメリカ大陸の発見者クリストファー・コロンブス(1451?~1506)にちなんでいますが、コロンブスは「黄金の国・ジパング」を求めて船出し、新大陸アメリカを発見したのでした。

かつての大帝国スペインの没落と、黄金の国と呼ばれた日本の末路が重なって見えるのは私だけでしょうか。


カルタヘナの高級住宅街


こちらはカルタヘナの高級住宅街を見下ろしたところ。

お金持ちのお屋敷が立ち並んでいます。どれも歴史を感じさせるものばかりで、私がわざと民家を指さしてエンカルナシオンさんに「Casa de Bolivar?(あれはボリーバルの家か?)」と尋ねると「no,no(違う、違う)」と言って彼は笑っていました。

コロンビア人は笑いの沸点が低いのか、よく笑う人が多いです。

ただ、コロンビアでも地域によって国民性の違いはあり、内陸部のボゴタでは寡黙で真面目で疑り深い人が多いのに対し、温暖なカルタヘナはいわゆるラテン系で底抜けに明るく陽気な人が多いです。

ボゴタには私のような日本人も少しはいるのですが、ここカルタヘナでは東洋人が「まったく」いないので、私はとても目立つのか、行く先々で「japo'n?(日本人か?)」と訊かれ、道を歩いていると親しみを込めて「コンニチハ!」と呼びかけてくる人がいました。


修道院の絵画


写真は修道院の壁に掲げられている絵画。

昔の奴隷たちを描いたものです。スペイン人は先住民のインディオを奴隷にし、彼らを農園や鉱山での労働力として酷使しましたが、小柄であまり体力のない彼らは厳しい労働に耐え切れずに次々に死に絶えていきました。

そこでアフリカから屈強な黒人奴隷を連れてきて働かせたのですが、独立戦争で活躍したのも彼らでした。彼らの子孫は今もアフロ・コロンビアーノ(アフリカ系コロンビア人)として人口の4割を占めています。

暗く悲惨な歴史の名残ですが、ここでは北米のような人種差別があまりないので、黒人でもどんどん社会に進出しています。

コロンビアではミスコンに黒人系の人がよく出てきます。白人の美人モデルに混じって黒人のモデルが当たり前のように活躍しているのですが、コロンビア人は肌の色の違いをあまり気にしないようです。

無論、コロンビアでも黒人は貧しい人が多いのですが、少なくとも北米のように黒人を社会から排除しようとする動きはなく、奴隷制を巡ってアメリカのように国が分裂することもなく、北米よりも早く奴隷制度を廃止しているのを見ると、南米は北米よりも文明的には進んでいるのではないか、と思います。


修道院の中庭


これはポパの丘の頂上にある修道院の中庭です。

これも築400年以上です。カルタヘナも大きな地震がないため、後述する世界遺産の城塞をはじめ、数多くの歴史的建造物がそのままの姿で残されています。

スペイン風の家屋には必ず、写真のようなパティオ(中庭)があるのですが、カルタヘナのような暑い土地でも快適に過ごせるよう、大きな窓が海に面して開けられていて、涼しい海風が吹き込んでいきます。

クーラーのなかった時代、ここで暮らすのは現代人が考える以上に大変なものだったのでしょうね。


カルタヘナの街並み


さあ、これがカルタヘナの街並みです。

カルタヘナは4つの地区から成り立っている町で、それぞれが独立した島のようになっていて、ポパの丘から見下ろすと大きな湖の中に町が浮かんでいるように見えて面白いです。

写真でもお分かりいただけるかと思いますが、入り組んだ入江が広がっていて、カルタヘナは「天然の要害」です。この地勢条件が長い間、この町を外敵から守ってきました。

19世紀の独立戦争では、コロンビアの独立を阻止しようとするスペイン帝国が1万の大軍をこの町に上陸させ、シモン・ボリーバルの独立軍は非常な苦戦を強いられました。

パブロ・モリーリョ将軍率いるスペイン軍は、4ヵ月にもわたってカルタヘナの町を包囲し、兵糧攻めにします。孤立した市内では疫病が流行り、食糧も不足し、およそ6千人の市民が命を落としました。

ボリーバルはやむなくジャマイカに逃れるのですが、不屈の精神をもってこの地に再上陸し、ついに独立を勝ち取るのです。

後にボリーバルはカルタヘナの町に「Ciudad Eroica(英雄の町)」という名称を与えました。


ポパの丘


カルタヘナの町を見下ろす「ポパの丘」にやってきました。

ここは標高187メートル。1606年に建てられた古い修道院があります。写真は修道院の入り口です。

カルタヘナに訪れる人は必ずここにやってきますが、カルタヘナは観光地でもあまり開発が進んでいないため、ここまで来るにはタクシーを使うしかありません。

私はここでエンカルナシオンさんという黒人の方と親しくなり、彼のガイドでカルタヘナを巡ったのですが、市中心部のホテルからここまで車で20分くらい。

舗装道路と非舗装道路が入り組んだ市内を抜け、大型バスが来たらすれ違えないほど狭い山道をぐるぐる走り回ってやっと登ってきました。

コロンビアは長年の内戦で観光産業があまり発達していない国なのですが、それだけに変に観光化されておらず、素朴な田舎の感じがよく出ていて、私の好きな国です。

治安に関して言えば今はほとんど問題ないので、日本の方にもっと来てほしいものです。


カルタヘナ港


写真はカルタヘナの港です。左手に見えるのはアメリカ海軍の戦艦で、運よく寄港しているのを撮影することが出来ました。

この日は朝から雲が多く、「ひょっとしたら一雨来るかな」と思っていたのですが、幸い、昼前から晴れてきて気温も上がり、午後は32℃の暑さになり、もともと暑さに弱い私は汗でグショグショになってしまいました。

カルタヘナ港はコロンビア最大の貿易港で、ここからいろいろなものがアメリカや欧州に積み出されていきます。日本の商船もパナマ運河を通ってこの港に寄港します。

コロンビアは太平洋と大西洋の二つの大海に面した南米では唯一の国ですが、カリブ海のカルタヘナが昔から貿易で栄えたのに対し、太平洋側の開発は遅れ、1914年にパナマ運河が開通するまでは太平洋側にはほとんど町もなく、今も無人のジャングル地帯が広がっています。

コロンビアの太平洋側にはブエナベントゥーラという港町があり、日本との貿易も行なわれていますが、コロンビアは資源が豊富な国なので、ゲリラの脅威が薄れた今、急速に国内の開発が進んでいます。

産油国のベネズエラから石油のパイプラインを引っ張ってきて、太平洋沿岸まで伸ばし、アジア向けに石油を供給しようという計画もあり、経済成長著しい中国がコロンビアに積極的な投資を行なっています。

日本は石油の供給を中東に大きく依存していますが、政情不安や海賊のリスクがあります。

コロンビアも産油国ですが、コロンビアは政治的に安定している上、コロンビアと日本の間には太平洋しかなく、海賊に襲われる心配もないため、コロンビアは有望な国として今、日本企業の熱い視線が集まっています。

すでにボゴタから太平洋側に抜ける「ラ・リネア・トンネル」という長大なトンネルの建設を日本政府が支援していますし、今年は9月にサントス大統領が日本を訪れ、今月末にはボゴタで日本とコロンビアの代表者による経済協力の会議も行なわれています。

コロンビアと日本は太平洋を挟んだ言わば「隣国」同士。両国間にはお互いに反感や差別感情もないので、これからの関係強化が望まれますね。


カルタヘナの朝


カルタヘナは着いたのが夜だったので、本格的な観光は翌日からになりました。

写真は朝5時ごろのカルタヘナ市街。人口が少ないせいか、ボゴタのようなラッシュはありませんが、コロンビアはどこの町でも真っ黒な排ガスを吐き散らして走る車ばかりですから、ここも朝からガソリンと排ガスの混じったような匂いが漂ってきます。

私は海外に行くと、その国の「匂い」が強く記憶に残るのですが、その国独自の匂い、その国にしかない匂いというのがあります。

たとえば、私の好きな台湾は漢方薬とジャスミン茶の混ざったような匂いですし、アメリカでは香水と体臭の混じったような匂いがあります。

コロンビアでは石鹸と香水を混ぜ合わせたような匂いがあり、これは不思議とボゴタでもカルタヘナでも同じです。コロンビア共通の匂いとでも言うべきでしょうか。

排ガスの匂いもコロンビア共通の匂いなのですが、これはコロンビアのみならず世界共通の匂いなので、私はコロンビアと言うと真っ先にこの「石鹸と香水のような匂い」が頭に思い浮かぶのです。

日本ではこれがご飯や味噌汁や漬物や焼き魚の匂いになるのでしょうか。私は海外から日本に帰ってきても、日本特有の匂いというのが分かりません。強いて言えば、女性の香水や化粧品の匂いでしょうか。

日本でも地方に行くと、その地方特有の匂いというのがありますが、どうも日本全国共通の匂いというものはないようです。

「匂い」を気にする国民性というのもあるのでしょうが、私は「匂い」でその土地を強く記憶していくので、匂いのない土地というのはあまり好きではありませんね。


カルタヘナの夜景


しばらくボゴタ周辺をうろうろした後、私はコロンビア随一の観光地・カルタヘナへ飛びました。

カルタヘナはボゴタから飛行機で約1時間半の距離。ボゴタのエル・ドラード空港からコロンビアのアビアンカ航空の国内線旅客機で行きました。

ちなみにアビアンカ航空は南米で最も古い航空会社(1919年創設)であり、オランダのKLM航空に次いで世界で2番目に古い航空会社です。

ボゴタは海から遠く離れた内陸にあるため、古くから航空網の開設に迫られていました。そうした経緯もあり、コロンビアはかなり早い時期から航空路を設けてきた国なのです。

ボゴタを出発したのが夕方だったので、カルタヘナに着いたのはすっかり日が暮れた頃でした。写真はカルタヘナ市内のホテルから撮影した夜景です。

ボゴタは標高2600メートルの高原に広がる大都市ですが、カルタヘナはカリブ海に面した港湾都市で、人口はおよそ107万人。

古くから観光名所として栄えてきた町ですが、ボゴタに比べればかなり田舎っぽい街です。

スペイン統治時代は黄金の積み出し港として繁栄し、敵対国であるイギリスや海賊の襲撃から町を守るために築き上げた「サン・フェリペ城塞」は世界遺産に登録されています。

ここもたいへん歴史の古い街なのですが、19世紀の独立戦争ではスペイン軍と独立軍の激戦が繰り広げられたところで、1812年12月15日には独立の英雄シモン・ボリーバルがスペインへの徹底抗戦を誓う「カルタヘナ宣言」を行なったところで有名です。

雨が多く涼しいボゴタでの暮らしに慣れていた私は、いきなり熱帯のカルタヘナにやってきて汗だくになりました。

この日の気温はボゴタで15℃くらい、カルタヘナは夜でも26℃はありましたから、その気温差じつに10℃以上です。

日本でたとえるなら、冬の北海道から沖縄に飛んだような感じですね。急激な気温の変化で体調を崩さないよう注意しましょう。


コロンビアのトマト


食後はぶらぶらとその辺を歩きました。

日本ではコロンビアと言えば「治安の悪い危険な国」というイメージばかり先行していますが、ここに来れば全然そんなことはないということが分かると思います。

私は外を歩いていて身の危険を感じたことなどありませんし、ゲリラも盗賊もいません。銃声も聞こえてきません。軍人や警官の姿はよく見ますが、どこの町にものんびりゆったりした空気が漂っています。

今のコロンビアはまったく危険ではないということがお分かりいただけたかと思いますが、それでも信じられないという方は是非、一度こちらに来ていただいて、ご自分の目と耳で確かめていただきたいと思います。

今は治安の悪さで言えば南米ではベネズエラの方が危険ですし、麻薬戦争の主戦場はメキシコに移っていて、コロンビアが左翼ゲリラや麻薬カルテルで悪名をとどろかせていたのは昔の話です。

治安に関して言えば、コロンビアはまったく無問題です。スリやひったくりや詐欺に気を付けていれば、特に問題はありません。つまり、日本にいるのと同じということです。

いや、地震や原発事故のリスクを考えれば、今はコロンビアよりも日本の方がはるかに危険かもしれません。少なくともコロンビアに原発はありませんし、ボゴタでは大きな地震もありませんから。

写真はなんだか分かりますか?じつはこれ、トマトの木です。

日本で見るトマトと全然違いますが、これは糖度の高いトマトで、ジュースにします。コロンビアではトマトと言うとジュースにして飲むのが一般的で、日本のように生でサラダにして食べることは少ないです。

ここでは生野菜を食べる習慣があまりないので、サラダと言うとザク切りにしたキャベツになぜか白ごまをかけたり、カットフルーツと一緒に食べたりします。日本のようにドレッシングをかけるという発想がありません。

私も味のないサラダをバリバリ食べましたが、コロンビア料理は基本的に「食えればそれでよし」なので、私もどんどんアバウトになってきて、まったく気にならなくなりました。


築400年の老舗レストラン



写真はネモコンの老舗レストランです。

なんと、この家はスペイン統治時代のスペイン軍将校の邸宅で、築400年という代物です。

19世紀の独立戦争時には、このあたりも激戦場になったのですが、戦火を逃れてよく生き残ったものです。

ここで私は「クラブ・コロンビア」というコロンビアの地ビールを飲み、豚肉のソテーと牛肉のステーキを食べました。

芸術家志望の青年がボーイをやっていて、店内には彼が描いたという前衛的な絵画も飾られています。

中庭には大きなイチジクの木が生えていて、実も成っていたのですが、ほとんど虫食いだらけで食べられませんでした。

私は日本では昼にビールを飲んだ程度では酔うことなどありませんが、ここは高地で気圧が低いせいか、ちょっと飲んだだけですぐ酔っ払ってしまいます。

ビールを飲んだら眠くなってきたので、写真撮影とかどうでもよくなってしまいました。申し訳ない(汗)。

コロンビアにいると時間がゆっくり流れていくので、私もどんどんコロンビア的にアバウトな人間になってしまうようです。


カラフルなトイレ


地上に戻ると、さっきまで晴れていたのに、雲行きが怪しくなってきました。

ネモコンは岩塩鉱山以外に特にこれと言って何もない町ですが、写真のようなカラフルな色彩の家が多く、しかもそれがスペイン統治時代に建てられた築400年以上という歴史的な建造物だったりするので面白いのです。

写真はトイレなのですが、遠くから見ると、ちょっと洒落た何かのお店みたいに見えます。

腹も減ってきたので、小用を足してから、昼食に行きました。


ネモコンの石炭


ネモコンでは岩塩だけでなく、石炭も産出されます。

私が手に持っているのは石炭ですが、よく見てください。ちょっと白っぽくなっていますね。これは「塩を含んだ石炭」なのです。

岩塩と石炭が同居している鉱山は世界でも珍しく、この他にもさまざまな種類の鉱物が採れます。

ネモコンの坑道は浸水や崩落が激しく、あと10年もすれば閉鎖されてしまうかもしれません。

他ではなかなか見られない貴重なものがいっぱいありますから、日本の皆さんも是非、一度は訪れてみてください。


フンボルト像


写真はドイツの自然学者、アレクサンダー・フォン・フンボルト(1769~1859)の蝋人形です。ネモコンの坑内にあります。

彼は19世紀にコロンビアを訪れ、地質調査などを行ないました。彼の名前は南米の太平洋沖を流れる「フンボルト海流」や、南極に住む「フンボルトペンギン」などの名前で知られています。

ろくな装備もなかった時代、よくこんなところまで探究心を持って調査に来たものだと感心します。

ちなみにフンボルトは生涯独身で、女性より男性との交友を好んだと言われます。

歴史上の人物には同性愛者が多いのですが、ひとつのことに熱中していると、異性との関係が面倒臭くなってくるのかもしれませんね。


塩のつらら




少し分かりにくいかもしれませんが、写真はいずれも「塩のつらら」です。

文字通り、地中から染み出した塩水が長い年月をかけて固まり、つららのように伸びたものです。

これはシパキラでは見られないものです。ネモコンの坑道はあまり手入れされていないため、こうした珍しいものがあちこちで見られます。

残念なことに、ネモコンの坑道では地下から湧き出してくる塩水の量がどんどん増えていて、時々ポンプで汲み出しているのですが、この先の坑道などはほとんど水没しかかっていて、あと10年もすれば閉鎖されてしまうのではないか、と言われています。

壁なども崩れかかっているところが多く、腐食しないようユーカリの木で支えをしている箇所も多いのです。

坑内を歩いていると、壁や天井にビーッと亀裂が走っているのを目にします。あちこち補修が行なわれていますが、当局にあまりお金がないため、ほとんど有効な手立てが打てずにいます。

あと10年。私もここに何度来れるか分かりませんが、多くの日本の方に足を運んでもらいたいものです。


世界最大の塩の結晶



写真はネモコン坑道内の教会です。

こちらはシパキラの岩塩教会ほどの派手さはありませんが、2枚目の写真に見えるハート形のものは塩の結晶を削って作ったものです。

これだけで重さが1.6トンもあります。純粋な塩の結晶でこれほどの大きさのものは世界でもここネモコンだけだそうです。

塩で出来ているので、背後から照らすとご覧のように透けて見えます。

世界的にも大変に貴重なものなのですが、コロンビアは長年の内戦で観光業にあまり力を入れてこなかったせいか、こうした観光資源をほとんど活かせていません。

近年の治安改善で、コロンビア政府も観光立国を目指しているのですが、私はコロンビアの素晴らしさをもっと多くの人々に知ってほしいと思う反面、観光化で貴重な資源を荒らされたくないと思うジレンマがあります。

日本人にはあまりなじみのない国ですが、1人でも多くの日本人にコロンビアという国の実像を知ってほしいと思います。


塩の泉



これが「塩の泉」です。

底は浅く、50センチくらいでしょうか。底をよく見てください。所々に白い塊が見えると思います。

これは溶け切れずに残った塩の塊です。この泉の塩水の塩分濃度は海水の3倍もあると言われています。

これほどの濃さになると、飽和状態で塩が溶けないのです。小学校の理科の実験でやったように、コップの水に塩をどんどん溶かしていくと、やがて塩が溶けなくなるのと同じ現象です。

人間が横たわれば普通に浮きます。さすがに私もそこまではやりませんが、地底に「海よりも濃い海」があるというのは驚きですね。


1億年前の海



これは岩の隙間から染み出た塩分が固まって出来た「塩の滝」です。

写真はほんの一部です。これがずーっと何十メートルも続いているのです。その先には塩水が溜まって出来た「塩の泉」があります。

写真では分かりにくいと思いますが、表面は濡れていて、今もトクトクと塩水が湧き出しています。舐めてみると、確かに塩辛いです。

それは1億年前に地中に閉じ込められた海水です。私は1億年前の海を味わっているのです!


ネモコンの坑内


子供の頃に夢中で読みふけったSF小説の地底探検みたいな光景ですね。

暗くて分かりにくいかと思いますが、ここは横にずーっと溝が流れていて、掘り出した岩塩を水で溶かし、ポンプで地上に汲み上げて、塩を採り出していました。

今は廃坑になっていますが、かつてネモコンは岩塩鉱山の町として栄えたところでした。

左手に見える電灯は1930年代に実際に使われていたものです。力自慢のロハスという労働者は、一度に160キロもの岩塩を担いでみせたそうです。


塩のマリア像


長く暗い坑道を下っていくと、岩塩を掘り抜いたところに聖母マリアの像がちょこんと立っていました。

まるで雪の中にいるみたいでしょう?でもこれ、全部「塩」です。

ここではもはや岩塩の採掘は行なわれていませんが、かつては労働者たちがここで作業中の安全を祈り、薄暗い坑内へ向かっていったのでしょう。


ネモコンの岩塩坑道


さて、ネモコンの岩塩坑道に入ってみましょう。

こちらは観光地化されていないせいか、ほとんど観光客の姿を見かけません。

この日は私だけでした。おかげで「貸し切り状態」だったのですが、ネモコンの坑道は整備されていないため、中も暗く、地面は地下水でツルツルと滑りやすく、手すりは細いユーカリの木なので、注意していないと転んでしまいます。

それでも一見の価値があります。こちらはシパキラに比べて規模は小さいのですが、シパキラでは見られないような貴重なものが沢山あるのです。

では、さっそく奥に行ってみましょう。


コロンビアのチーズ


歩き疲れたので、ネモコンの喫茶店に入りました。

私は甘党ではなく、日本では自分から甘いものを食べることなどないのですが、コロンビアでは高地で体力の消耗が激しいせいか、やたらと甘いものを食べることが多いです。

写真は「クアハダ」というこの地方独特のチーズです。一見すると豆腐のようですが、食感もまさに豆腐のようで、不思議な食べ物です。

このあたりでよく採れる木イチゴのソースをかけていただきます。甘酸っぱくて、甘いものが苦手な方でも結構いける味です。

上にかかっているキャラメルのようなものは「アレキペ」という練乳を煮詰めたソースです。正直、こっちは甘すぎて私はあまり好きではありません。

チーズなのですが、味も食感も完全に豆腐です。日本人のAさんはこれに生姜醤油をつけて「冷ややっこ」のようにして食べるのがお好きだとか。

甘いものに目がない方は、コロンビアで暮らしてみるのもいいかもしれませんね。


ネモコンの町



シパキラの北約15キロにはネモコンという小さな町があります。

ここも岩塩で有名なところなのですが、すっかり観光地化しているシパキラに比べて知名度はあまり高くなく、言わば「隠れた穴場」になっています。

ネモコンという地名は、かつてここに住んでいた先住民ネメケン族にちなみ、スペイン統治時代に作られた大変古い町で、400年の歴史があります。

こじんまりとした田舎町なのですが、赤茶けたレンガ造りの町並みが広がり、なんだか懐かしさを感じる風景で、私の好きな町です。

2枚目の写真は町の中心部を見下ろす小高い丘から撮影しました。左手に見える広場は「独立記念広場」です。コロンビアとともに独立したベネズエラやエクアドルのアンデス諸国の国旗が掲揚されています。

かつてはこのあたりにもゲリラが出没し、日本人が気軽に行けるような場所ではなかったのですが、今は本当にのどかなところです。


塩のプール


掘り出した岩塩の塊は、この大きなプールに投げ込んで溶かし、濃い塩水にしてから煮詰めて塩を採ります。

今もシパキラの周辺には製塩工場が立ち並び、高い煙突から煙が立ちのぼるところを見ることが出来ます。

お土産に塩を売っているのですが、食用にするよりも、入浴剤のように岩塩の塊をお風呂に入れると血行が良くなり体が温まるので、ボゴタのような高地では重宝すると思います。


塩の滝


これは岩の間から染み出してきた塩分が凝固したものです。

青くライトアップされていますが、ゴツゴツした溶岩のような岩塩の塊が延々と続いていて、まるで「塩の滝」が流れているようです。

硬そうですが、指でちょっと擦るとジャリジャリと塩がはがれてきて、舐めてみるとしょっぱいです。


シパキラの岩塩教会






坑道の奥には「シパキラの岩塩教会」があります。

その名の通り、岩塩で作られた教会なのです。

ここで働いていた鉱山労働者たちが、安全を祈願するために作ったものですが、青や赤の照明でライトアップされていて、まるで「地底の竜宮城」のような神秘的で幻想的な光景です。

十字架の前にある台の上が白くなっていますが、これはすべて塩です。十字架も台も壁も天井もすべて岩塩で出来ています。

海に囲まれた島国の日本では、岩塩が産出されている場所はないはずです。海水を煮詰めればいくらでも塩が出来るわけですから、日本では岩塩など必要なかったのでしょうが、ボゴタは海から遠く離れた内陸にあります。そのため、シパキラの岩塩は昔から大変貴重なものでした。

中央の十字架は岩塩の壁を掘り抜いたものです。

派手にライトアップされていて、時間で青や赤や紫色に変わるのですが、これも派手好きなコロンビア人ならではの演出です。

岩塩をくり抜いたところに造られたものですが、削り方がアバウトなところがいかにもコロンビアらしく、中には削りすぎて大きな亀裂が走っているところもあり、大きな地震が来たら崩れ落ちてしまうのでは、と不安になります。


シパキラの岩塩鉱山



坑道の入り口には等身大のマネキンが立っています。

ここは地下180メートルまで掘り抜いた全長1キロの坑道が広がっており、この日はよく晴れていて汗ばむくらいの陽気でしたが、坑道の中はひんやりしていて涼しかったです。

坑道の壁には白い塩が噴き出していて、ちょっと触って舐めてみると塩辛いのなんの。どこからともなく潮の香りが漂ってきて、かつてここが海の底だったことをうかがわせます。

周りは海のカケラもない山の中ですから、なんとも不思議な光景です。

では、もっと奥に入ってみましょう。


シパキラ


さて、ボゴタを離れた私は、郊外のシパキラという町にやってきました。

ここはボゴタから北に約50キロ、車で1時間ほどのところにあるのどかな田舎町です。

シパキラはコロンビアの歴史上、重要なところでもあります。

18世紀の終わりごろ、コロンビア(当時はヌエバ・グラナダ副王領)ではタバコ税などの重税と物価高騰に苦しみ、宗主国スペインからの独立を求める動きが起こりました。

1781年にはソコロ地方(現在のサンタンデール県)で、重税と圧制に苦しむ民衆の反乱が起こり、クリオーリョ(現地生まれの白人)を中心とするコムン(革命委員会)が結成されます。

反乱軍の要求は重税撤回から独立にまで膨らみ、脅威を感じたボゴタの副王はボゴタ郊外のシパキラまで迫ってきた反乱軍と和平協定を結びます。

ボゴタ副王フローレスは、反乱軍の要求を受け入れることと、反乱軍の指導者を一切罪に問わないことを約束するのですが、後にこの約束は反故にされ、反乱軍を率いたアントニオ・ガランは捕らえられ、ボゴタで四つ裂きの極刑に処されたのでした。

この「コムネーロスの反乱」は失敗に終わるのですが、それから約30年後にコロンビアはスペインからの独立を宣言し、10年にもわたる激しい独立戦争の末に自由を勝ち取ります。

シパキラはコロンビアを語る上で欠かせない土地なのですが、シパキラの名物と言えば何と言っても「岩塩」です。

このあたりは今でこそ標高3千メートル近いアンデスの高原なのですが、太古の昔は海の底でした。今から1億年以上前のことです。

その後、大規模な地殻変動が起こり、陸地に取り残された海が干上がって膨大な量の岩塩を残したのです。

シパキラには岩塩の鉱山があり、今でも岩塩の掘り出しが行なわれています。かつての鉱山跡は観光名所になっており、いつも多くの観光客でにぎわっています。

写真は鉱山の入り口にあるなんだかよく分からない巨大なオブジェです。コロンビアにはよくこういう意味不明なものがあります。

では、さっそくシパキラの岩塩鉱山に入ってみましょう。


グアダルーペの丘


これはモンセラーテの丘にも近い「グアダルーペの丘」を望んだところです。

グアダルーペの丘には、16世紀後半にペドロ・デ・ルーゴ・イ・アルバラシンという人が作った有名なキリスト像のある教会があるのですが、こちらの丘はモンセラーテよりも高いところにある上、アクセスの手段が険しい登山道しかないため、私も行ったことがありません。

なので、遠くから白っぽい像のようなものを眺めていただくしかありません。

Aさんの話では「山賊が出る」とのことですが、こちらの丘も3千メートル以上の高さにあるのに、山頂付近まで青々と森が広がっていますね。

日本では絶対にあり得ない光景です。私はいつも不思議な気分になります。


モンセラーテの頂上


私の腕時計は高度計の機能もついているのですが、モンセラーテの丘の頂上付近で高度は3025メートルを示していました。

私はボゴタで息苦しいとか、めまいや吐き気や頭痛を感じたことはないのですが、同行していた日本人のAさんはかなり苦しそうでした。

だいたい標高2300メートルあたりから高山病の症状が出てくると言われますが、個人差があるので一概には言えません。

私は鈍感なのか、3千メートルの高さでも何も感じません。

ボゴタ在住歴の長いAさんに言わせれば、この丘の頂上付近の空気は「硬い感じ」で、丘から降りると空気が「柔らかく」感じるそうです。

私もボゴタでは夕方5時くらいになるとガクンと疲れてしまい、夜はかなり早く寝てしまうのですが、やはり酸素が薄いと知らず知らずのうちに体力を消耗しているのかもしれません。

この地を征服したスペイン人たちも高山病には悩まされたらしく、当時は原因が分からないので南米特有の風土病だと思われていたそうです。

Aさんも「たまには低地に降りないと体が保たない」と言っておられますが、逆に低地に降りると今度は酸素が濃くて「酸素酔い」のようなことになるのでは、と思います。

私もボゴタにしばらくいて、標高の低い他の土地にも行きましたが、やはり鈍感なのか違いが分かりませんでした(汗)。


モンセラーテからボゴタを望む



ケーブルカーを降りて、しばらく石畳の登山道を歩いていくと、目の前にボゴタの壮大な景色が広がります。

この日は雨季でも奇跡的に晴天に恵まれ、まるで私にボゴタの絶景を撮ってくれと言わんばかりの天気でしたので、遠慮なく街の遠景をカメラに収めました。

こうして見るとボゴタがいかに広大な盆地の中に広がる大都市かがお分かりいただけると思います。

1枚目の写真はモンセラーテの丘からボゴタ市北部を写したものです。

眼下には高層ビルが立ち並ぶオフィス街が広がっています。

ボゴタはその昔、広大な沼地にあったため地盤が軟弱で、あまり高い建物は建てられないそうです。

歴史上、大きな地震がないため、それでも簡単な構造の建物でもいいわけですが、たぶん震度5強くらいの地震が来れば市内のほとんどは壊滅してしまうのではないでしょうか。

慢性的な交通渋滞を解消すべく地下鉄の建設計画もあるのですが、地面を掘ると地下水が染み出してきて工事が難しいため、実現するのはもっと先のことになりそうです。

2枚目の写真の中央奥に見える白い道のようなものがエル・ドラード国際空港の滑走路です。

この日は運よく飛行機が飛び立つところを見ることが出来ました。

写真に撮ろうとしたら、たまたま近くにいたお兄さんに記念撮影を頼まれ、シャッターチャンスを逃してしまいました(涙)。


モンセラーテの丘


さて、私は「モンセラーテの丘」にやってきました。

コロンビアの人たちは「丘」と呼んでいますが、頂上は標高3千メートルをゆうに超しているので、どう見ても立派な「山」だと思うのですが、ボゴタが標高2600メートルの高原にあるため、ちょっと丘に登るだけでそれほどの高さになってしまうのです。

ここはノルテ(市北部)から車で20分ほどのところにありますが、途中の山道はかなりの急斜面でクネクネと曲がりくねっているので、まるで日光の「いろは坂」のようでスリリングです。

コロンビアのドライバーは基本的に運転が荒っぽいので、私もタクシーに乗っていると、本当にこんな運転手に自分の命を預けてしまってもよいのだろうか、と不安になることがあります。

この日も丘の手前の交差点で追突事故が起きていて、とんでもなく渋滞しているので、タクシーを降りて丘まで歩いていきました。

日本ならすぐに警察が来て、レッカー車で車を移動させてしまうところですが、ここでは警察の調べにえらく時間がかかるのと、お互いに非を認めずにいつまでも口論しているので、事故が片付くのを待っていたら日が暮れてしまいます(笑)。

モンセラーテの丘にはケーブルカーとロープウェーで登れますが、専用の登山道は途中で崖が崩れていて、危ないため今は入れません。

ケーブルカーはかなりの急勾配をずんずん登っていくのですが、最近、自分が高所恐怖症であることに気付いた私は怖くて写真を撮ることが出来ませんでした(汗)。

写真は頂上付近の教会です。スペイン統治時代に造られたものですが、重機も何もなかった時代に大変な工事だったろうと思います。


ボゴタのラッシュ


ボゴタの朝のラッシュ時の光景です。

コロンビア人は朝早くから夜遅くまで働いています。

朝はまだ暗い5時くらいから交通量が増え始めるのですが、だいたい7時から8時ごろにラッシュのピークを迎えます。

道路はどこもすごく渋滞するのですが、ボゴタには鉄道網がないため、市民の足は自家用車かタクシーかバスしかありません。

交通渋滞を解消するため、ボゴタ市は2000年から「トランス・ミレニオ」という赤い連結式の大型バスを導入したのですが、一向に渋滞はなくなりません。

何しろボゴタだけで800万人近い人々が暮らしているわけですから、移動手段に電車がないというのは致命的です。

昔は路面電車が走っていたのですが、ボゴタはもともと行政上の首都というだけで、かつてコロンビア経済の中心地はもっと標高の低い西部のメデジンという大都市でしたから、ボゴタは近年の急速な都市化と近代化による人口増加にまったく追いついていないのです。

富裕層は自分の車を持っていますが、庶民の足と言えばもっぱらバスとタクシーです。

よく晴れた日の朝は空気が埃っぽくて、排ガスもひどいのですが、ボゴタは高地だけに酸素が薄くて不完全燃焼を起こしやすく、また車もメンテナンスされていないことが多いので、真っ黒な煙を吐き出しながら走っています。

メキシコの首都メキシコシティも標高2300メートルの盆地にあり、大気汚染のひどさで有名ですが、ボゴタはメキシコシティより高いところにあるにも関わらず、とても大きな盆地にあるため汚れた空気が町の中に溜まらず、メキシコのようなひどいことにならないのが救いです。

ガソリンと排ガスが混じったような独特の匂いがボゴタの朝の風物詩です。


ボゴタの曇り空




今日のボゴタは朝から曇りです。

ボゴタは山の中にあるので、晴れていても急に曇ってきて大雨が降ったり、雷鳴がとどろいたりするので油断は出来ません。

特に今は雨季なので、ほとんど毎日のように雨が降ります。

ただ、ここは赤道間近の熱帯地方にあるため、どんなに気温が下がっても雪が降ることはなく、年中日本の春か秋のようで過ごしやすいです。

ボゴタは空を見上げると雲が近くて、手を伸ばせばつかめそうな感じなのが好きです。

曇り空が似合う町なんてあまりないと思いますが、私は雲の似合うボゴタの空が好きですね。







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